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2020年12月19日、アジア王者決定の瞬間。蔚山現代FCのベンチには、一人の日本人が存在した。
カタールにて集中開催された2020年シーズンのアジア・チャンピオンズリーグ(以下:ACL)。見事優勝を飾ったのは、韓国・Kリーグの蔚山現代FC。
同チームにてフィジカルコーチを務めた【津越 智雄(つこし ともお)】さんは、これまで日本以外のチームに所属し、そのコーチングスタッフの一員として、アジア王者のトロフィーを掲げた唯一の日本人である。
同大会の準決勝では、ヴィッセル神戸と延長戦にまでもつれる死闘を繰り広げ、蔚山現代FCは劇的な逆転勝利を収めた。試合中に2度のVAR判定があるなど、日本でも大きな注目を集めた試合は、サッカーファンの記憶にも新しいことだろう。
日本人フィジカルコーチとして、異国の地からアジア王者へたどり着くまでに、津越さんは一体どのような人生を送ってきたのだろうか。
「野望や向上心がある選手の力になりたい。」
と、語る津越さんのサッカー人生に光をあてると、現代を生きる全ての日本人にとって重要なことが見えてきた。
和歌山県出身の津越さんは地元の近大付属新宮高校を卒業後、プロサッカー選手になることを目指し、大学サッカー界の強豪である筑波大学へ進学。夢を叶えるために、地元を離れて同大学のサッカー部に所属した。
大学卒業後は、当時JFLに所属していた栃木SCに入団。同チームで1年間プレーした後、プロサッカー選手になる夢を諦められず、単身イギリスへ渡る。
当時イングランド2部のStockport County FCのトライアルに参加するも、正式な入団には至らなかった。しかし、Woodley Sports FCというセミプロクラブを紹介してもらい、同チームと契約。当時の待遇は、試合に出場した分だけ支払われる「出場給」という報酬制度だったが、津越さんの海外挑戦がスタートした瞬間でもあった。
イギリスでは1シーズンを過ごした後に日本へ帰国し、翌年は日立栃木サッカー部(現:栃木シティFC)に1年間所属。大学卒業後は合計3シーズンの期間を選手としてプレーし、現役生活にピリオドを打つ決断を下した。
「日立栃木でのシーズンを終えたタイミングで、自分が目指していた選手としての ”理想” には届かないと感じました。実力や待遇面など様々な部分を含めて、選手として上を目指すことは難しいと思い、プレーヤーとしての自分には見切りをつけました。」
「プロサッカー選手」としての道は諦めたが、津越さんの新たなる挑戦はすぐに始まる。
「筑波大学卒業後は、プレーヤーとしての活動だけではなく、大学院にも進学していました。そのため、サッカー以外の時間では大学院で、フィジカルトレーニング、栄養や食事、コンディショニングなどについて学んでおり、フィジカルコーチとして活動する以前から色々と学んでいました。大学院を卒業すると同時に、選手としてプレーすることを辞める決断を下したのですが、そのタイミングでフィジカルコーチのアシスタントとして受け入れてくれるという話になり、東京ヴェルディのアカデミーで働くことに繋がり、結果的にはフィジカルコーチとしての活動をスタートさせるきっかけになりました。」
東京ヴェルディにて、「フィジカルコーチ」として新たな挑戦が始まった津越さんのサッカー人生。
その後、東京ヴェルディではトップチームをはじめ、ユースなどの育成年代や日テレ・ベレーザ(女子チーム)など、ヴェルディに関する全てのカテゴリーにてフィジカルコーチを務めた。
2005年にスタートした東京ヴェルディでの生活は、2013年までの9年間に及ぶ。その期間で、多くの経験を積んだ津越さんは、2014年に新たなチャレンジに挑む。
津越さんが東京ヴェルディにてアカデミー年代を担当していた当時、中国のとあるサッカークラブからチーム宛に連絡が届く。「オフシーズンの短期間で構わないので、日本人のフィジカルコーチの派遣してくれないか」という内容だった。
東京ヴェルディの首脳陣は、津越さんに中国行きの打診を持ちかける。津越さんは、その話を聞いて「行きたいです」と即答し、チームのオフ期間を利用して3週間、中国へ向かうことになった。
この時に生まれた「中国との縁」が、後に津越さんのサッカー人生にとって大きな転機となる。
中国に初めて足を踏み入れてから約5年の時が過ぎた頃、中国側から「もう一度短期でフィジカルコーチに来てもらいたい」と連絡が届き、津越さんは再び中国へ向かう。その当時も短期間での活動だったが、翌年にも中国側から連絡が届いた。
しかし、その内容は例年の要請とは違うものだった。
「中国側のチーム関係者から、”フィジカルコーチとしてではなく、君に全てを任せるからトップに立ってチームを見て欲しい” という内容の連絡を受けました。このようなチャンスは滅多に無いと思い、すぐに中国へ行くことを決意しました。」
2014年、中国3部に所属していた梅県客家足球倶楽部にて、監督として迎え入れられた津越さん。3部リーグと言えど、海外リーグのプロカテゴリーを指揮し、津越さんは現地で様々な経験をすることになる。
「まず、監督に就任して初めて行ったトレーニングマッチの相手が、イタリア人監督の世界的名将、マルチェロ・リッピが率いる広州恒大でした。相手選手には、元アルゼンチン代表のダリオ・コンカ、ブラジル人ストライカーのムリキ、ドルトムントでも活躍していた元パラグアイ代表のルーカス・バリオスなど、名だたるメンバーがそろっていました。今でもそうですが、中国リーグでプレーしている外国人選手は世界を代表するような選手たちが在籍していますし、中国現地の選手たちもクオリティーの高い選手が多いです。」
結果的に、中国では4ヶ月という短い期間の活動となったが、4ヶ月以上分の経験をしたと語る。
「中国では、”コーチ” と ”監督” は全くの別物であることを実感しました。選手として海外に行くのであれば、自分のプレーを結果で示すことができれば生き残っていけます。極端な話、チームに合流してすぐにゴールを決めればOKです。しかし、監督の場合、良い練習をすればOKという訳ではありません。どんなに良い戦術やコーチングができたとしても、それは監督としての沢山仕事がある中の1つにしか過ぎないです。クラブやスポンサーとの関わり、ファンやサポーターたちを含めたチーム作り、トレーニングメニューや選手たちのモチベーションのコントロール、試合の采配や結果…。監督としてプロの世界で生き残っていくためには、サッカーの指導内容だけではなく、様々な面でのマネージメント力が必要です。その事実に身をもって体感できたことは、この上ない経験でしたし、チームを多角的に見るきっかけとなり、指導者人生の転機になったと思います。」
中国で過ごした時間は、津越さん自身の成長に大きく繋がったと、当時の様子を回想する。
2014年6月。中国から帰国した津越さんの元には、Jリーグの京都サンガF.C.からオファーが届いた。東京ヴェルディ時代を共に過ごした川勝良一氏が、京都サンガF.C.の監督に就任したことがきっかけで、再度「フィジカルコーチ」として声がかかった。
シーズン途中から京都サンガF.C.に加入。2014年シーズン終了までを同チームで活動した後、翌年の2015年シーズンはサガン鳥栖に活躍の場を移した。日本に復帰してから2シーズンを過ごした津越さんは、そのシーズン終了後に韓国の蔚山現代FCからオファーを受けることとなる。
2011年から2014年までサガン鳥栖で監督を務めていた、元韓国代表でJリーグでのプレー経験もあるユン・ジョンファン氏が、蔚山現代FCの監督を務めることがきっかけだった。
韓国へ行くことを決めた際の心境を伺った。
「日本ではない環境に身を置くことで、新たな刺激や視点を持てることは自分にとって大きな経験になると思い、すぐに韓国へ行くことを決めました。トレーニング1つをとっても、国が違えば日本人選手たちとは取り組み方や反応が異なります。その環境にとってベストな方法を探りながら日々の生活を送ることは、サッカーだけではなく、人間としても大きな成長に繋がります。新たな挑戦ができることを楽しみにしながら、韓国へ向かいました。」
人との縁が重なり、三度目の海外挑戦をすることになった津越さん。
韓国Kリーグのビッグクラブである蔚山現代FCに、日本人フィジカルコーチが誕生した瞬間だった。
2016年より、蔚山現代FCのフィジカルコーチに就任した津越さん。2020年でのACL優勝を達成するまでには、チームとして様々な困難があったという。
「韓国では常に上位を争うチームですが、国内リーグでは優勝に到達することができず、ACLでもなかなか勝ち上がることができませんでした。私自身が初めて挑んだACLでは、鹿島アントラーズに勝てず、グループステージ敗退。それ以降、グループステージを突破してもベスト16で敗退してしまうような成績で、タイトルへの壁は厚かったです。」
蔚山現代FCはチームとして「ACL制覇」を目標に掲げていたが、その目標が現実味を帯びてきたのは2020年の大会期間中だったそうだ。
「韓国国内には、全北現代モータースという絶対的な強さを誇るチームが存在し、私たち(蔚山現代FC)は昨年のリーグ戦カップ戦ともに一度も勝てませんでした。しかし、全北現代が2020年のACLでは予選リーグで敗退したことにより、チーム全体で優勝のチャンスが巡ってきたという雰囲気になりました。」
コロナ禍の影響により、2020年12月に短期間で集中開催されることとなった2020年シーズンのACL。同大会に挑む直前、蔚山現代FCは「国内リーグ」と「国内カップ」ともに、全北現代モータースに敗れてタイトルを逃していた。蔚山現代FCに対しては、国内のメディアやサポーターからの批判が集中し、チームはとてもネガティブな状況に陥っていた。
しかし、ACLがカタールでの集中開催に大会方式が変更されたことが、蔚山現代FCにとってはプラスに作用し、国内メディアやサポーターからの批判が選手たちには届きにくい環境となった。その結果、チーム全体が「ACLを楽しもう」という雰囲気に変化し、国内でプレーしていた際の「勝たなければならない」というプレッシャーから開放された。選手たちは、良い意味で「リラックス」できる環境で、のびのびと大会に挑むことができたそうだ。
津越さん自身も、勝利に対するプレッシャーから開放された選手たちの躍動を間近で感じ取り、サッカーにおける「メンタル」の重要性を改めて実感。そのメンタリティーが勝負の分け目でポジティブな方向へ作用し、ACL制覇にまで繋がった。
「優勝が決まった瞬間は、とても嬉しかったです。正直、審判の判定、試合日程、対戦相手など蔚山現代FCにとって運が良かった部分はあると思います。自分たちでコントロールできる部分ではないのですが、カタールで開催された予選から決勝まで、全試合勝利できたということは、”運” も、必要な要素であると感じました。」
「運」をも味方につけて、津越さんが所属した蔚山現代FCはアジア王者の栄冠を手に入れた。おそらく、津越さんをはじめとする蔚山現代FCの選手やスタッフ陣の日頃のサッカーに対する取り組みが、「運」という要素になって現れたとも言えるだろう。
現地での活動を通じて津越さんが感じた、日本と韓国の「フィジカルの違い」について話を伺った。
「まず、日本人選手と韓国人選手は ”体格” が異なります。生活環境などの先天的な部分で、韓国人選手の方が身長が高いです。FWやCBは190cm台がスタンダードで、ワールドクラスの基準と比べても遜色ありません。さらに、体重についても韓国人選手たちの方が重いです。それは、食文化が大きく影響しているでしょう。摂取しているタンパク質の量が、日本人と比べると明らかに異なります。W杯に出場している国の中で、日本人選手の身長あたりに対する平均体重の数値はいつも最下位グループとなっていますが、やはり韓国人選手はその点も世界基準に達している選手が多い印象です。」
「日本」と「韓国」、両国のトップリーグに所属したコーチだからこそ分かる「フィジカル」の違いは、非常に興味深い内容だ。
また、日本人選手のフィジカル的な特徴につていも、津越さんの目線で解説していただいた。
「”持久力” については日本人選手の特徴だと思います。日本では、中高生年代からランニング系トレーニングが多いことが、選手の体力面向上に大きく影響しているでしょう。サッカーにおいて ”効率的なのか”という議論は抜きにして、日本人選手は90分間 ”走り通す” ことに関して優れています。ただ、これは日本人のメンタル面も大きく関係しているでしょう。守備をサボらないこと、練習でも手を抜かずに最後まで走り切ることは、日本の育成年代から当たり前のように要求される部分ですが、外国人選手のなかには国によってアバウトなことも多々あります。外国人選手と日本人選手を比べた際、外国人選手が極端に走れないという訳ではないので、メンタリティーの差が現れている部分とも言えるでしょう。」
日本におけるサッカーを取り巻く環境が、プレー面でも「特徴」として現れているようだ。その影響は、サッカーのプレースタイル、国(代表チーム)の特性、選手の特徴などに繋がっている。
さらに、韓国人選手についての興味深いデータも教えていただいた。
「韓国人選手の ”ジャンプ力” については、日本人選手と大きく違う部分です。Jリーグの選手と、Kリーグの選手の ”垂直跳び”(パワーの指標) の記録を比較した際、韓国人選手の方が平均して ”約3cm高い” というデータがあります。この差は、先天的な部分ではなく、後天的な部分、すなわち ”トレーニングの差” と深く関わっています。韓国では小さい頃から ”縄跳び” を沢山します。日本の中高生年代がランニング系のメニューを沢山行うように、韓国ではジャンプ系のトレーニングメニューが多い印象です。」
中高生年代におけるトレーニング内容が「フィジカル(体力やジャンプ力)」の差。食生活の積み重ねが「体重」の差。先天的な部分が「身長」の差。
フィジカル能力の「差」は、生活環境や食文化などの様々な要素と深く関連している。このような事実に気付くことができたのは、韓国現地のトップチームで活動してきたことが大きく影響していると、津越さんは語る。
「日本サッカーの発展」という視点から見ても、津越さんのような経験を得ているフィジカルコーチは、とても重要な存在ではないだろうか。
韓国に行くことを決断して、本当に良かったと語る津越さん。
「ACL優勝をはじめ、多くの経験を得ることができたので、韓国に行って本当に良かったです。チームに所属していた選手のクオリティーはとても高く、代表クラスや欧州のトップで活躍した選手が在籍しており、そのような選手たちと一緒に活動できたことで、アジアトップのレベルを体感することができました。スイスのFCバーゼルやドイツのドルトムントなどでプレーしたパク・チュホ選手や、イングランド・プレミアリーグで9シーズンもプレーしてきたイ・チョンヨン選手のように、欧州トップで活躍した選手のレベルを肌で感じたことにより、自分の中で ”基準” ができたことはとても大きな財産です。」
「ACL優勝」を最後に、津越さんは5年の時を過ごした蔚山現代FCから「退団」することを、自らの意思で決断した。
そして、今後はさらなる高みを目指していくと、決意を新たにする。
「今後は別の国にチャレンジしたいと思っていて、世界トップレベルの選手がそろうような環境で挑戦したいです。日本で言うところの ”世界” は、サッカーの場合だとヨーロッパに目線が行きがちですが、中東や東南アジア、更にはオーストラリアや南米など、自分の知らない場所にも ”世界” が存在しています。よりレベルの高い場所に身を置いてみたいです。」
2021年1月現在は日本に帰国し、東京を拠点に中高生や大学生向けのトレーニングを開催したり、過去に関わった日本人選手たちを集めた合同トレーニングを開催するなど、活躍は多岐にわたっている。
なぜ、そのような活動に取り組むのか、津越さんの思いの丈を伺った。
「プロを目標にプレーしている選手や、所属チームでの活躍を目指している選手など、何かしらの野望や向上心を持っている選手は、どこに行っても必ず存在します。その選手たちがサッカーでのパフォーマンスを上げるために、フィジカル面の能力向上を求めているケースが多いです。本気で上を目指している選手のために、少しでも役に立ちたいという思いでトレーニングなどの活動しています。この気持ちは、26歳でフィジカルコーチを始めたときから変わらない部分、私が活動する上でのベースの部分です。」
さらには、津越さん自身の将来の展望についても話を伺った。
「今後、自分自身がステップアップしていくことだけではなく、フィジカルコーチの育成などにも力を注ぎたいです。また、今まで一緒に活動してきた仲間たちとともに、新しいものを作り上げていきたいです。自分が現場に立って活動することだけではなく、様々な方面に可能性を広げていきたいと考えています。」
近年、海外で活躍する日本人「選手」は莫大に人数が増えたが、海外を舞台に「フィジカルコーチ」として活動する日本人は、まだまだ稀有な存在である。
その第一人者とも言える、津越さんの貴重な言葉を最後に紹介したい。
「同じ環境で育った日本人選手同士だと、必然的に似たような特徴を持つ選手が多くなってしまい、その選手の能力や才能が日本では埋もれてしまうかもしれません。しかし、国や環境を変えることで、これまでとは違う視点で評価されたり、自分が今持っているモノが長所に変わり、重宝される選手になる可能性を秘めています。それは、選手に限らず、監督やコーチでも一緒だと私は考えています。場所や環境を変えることで、大きなチャンスを掴む可能性があるかもしれません。それはサッカーに限らず、全ての物事に共通していることだと思います。」
生まれ育った日本を離れて、異国の地からアジアNo.1のトロフィーを掴み取った津越さん。
勇気を持ってアクションを起こし、自ら選択した環境で全力を尽くす。そして、新たな可能性を見出して前進していく姿勢は、多くの人たちに勇気を与えるとともに、これからのグローバルな時代を生きていく上でとても重要なポイントであると、筆者はインタビューを通じて感じさせられた。
国際的に活躍する日本人フィジカルコーチ・津越智雄さんの活躍に、今後も目が離せない。
■プロフィール
津越 智雄(ツコシ トモオ)
1979年9月23日生まれ 和歌山県出身
■選手経歴
2002 栃木SC(JFL)
2003 Woodley Sports FC(イングランド)
2004 日立栃木サッカー部(関東リーグ)
■スタッフ経歴
2005 – 2008 東京ヴェルディ アカデミー フィジカルコーチ
2009 – 2012 東京ヴェルディ フィジカルコーチ
2013 日テレ・ベレーザ コーチ
2014 梅県客家足球倶楽部(中国3部)監督
2014 京都サンガF.C. フィジカルコーチ
2015 サガン鳥栖 フィジカルコーチ
2016 – 2020 蔚山現代FC(韓国) フィジカルコーチ