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【海外リーガーからFC東京スタッフへ】伴和曉「異色の海外リーガーが挑むJの舞台」

ビジネスマン物語
2020年12月10日

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新型コロナウイルスの影響により、カタールでの集中開催に大会方式を変更したAFCチャンピオンズリーグ2020。同大会へ参戦している日本のクラブは3チームであり、東京都をホームタウンに構えるFC東京も、そのうちの1チームである。

 

「都民のためのJクラブ」として発足した「FC東京」が国内屈指のビッグクラブであることは、日本のサッカーファンにとっては周知の事実であり、数多くの日本代表選手を輩出してきたことがその事実を物語っている。

 

Jリーグでも好成績を残し、毎年上位に食い込む力を見せているFC東京。同チームにて、2020年より「チーフマネージャー」として活躍しているのは、かつて海外リーグを「プレーヤー」として渡り歩いてきた一人のサッカー選手。

 

【伴 和曉(ばん かずあき)】さん(2020年:現在33歳)は、東欧のエストニアを皮切りに、ラトビア、ポーランド、そして東南アジアのカンボジアを舞台にプロサッカー選手として活躍してきた。

 

異色の経歴の持ち主である伴さんは、なぜFC東京のスタッフとして現在活動しているのか。伴さんのサッカー人生にスポットを当て、「海外リーガー」から「FC東京・スタッフ」へ転身した理由を紐解いていく。

 

※引用:本人提供(2020年シーズンのACLに参加するFC東京のスタッフとして活躍している伴さん)

 

 

プロサッカー選手への挑戦

 

幼少時代から東京で育った伴さんは、実兄の影響から地元の「関前FC」にてサッカーを始めた。その後、クラブチームの「横河武蔵野Jr(現:東京武蔵野シティ)」に籍を移してサッカーに取り組む。

 

同チームにはジュニアユース(中学)、ユース(高校)と長い期間在籍し、地域の選抜にも選出されるような選手に成長。サッカーの魅力に魅了された一人の少年は、「プロサッカー選手」の夢を叶えるために、サッカーと真摯に向き合った。

 

しかし、Jクラブからの具体的なオファーが届くことはなく高校卒業を迎える。

 

「当時の自分の立ち位置を冷静に分析したとき、高卒でプロになるようなトップの選手ではないけど、そのトップの選手たちに”届きそうで届かない”位置にいると感じていました。所属していたチームも、関東大会で上位には行けるけど、全国大会には届きそうで届かない。その立ち位置から脱却できるよう、大学進学の際は関東以外の環境に身を移そうと考えました。」

 

常に全国大会の常連であるようなチームに身を置き、大卒でプロを目指そうと考えた伴さん。進学先は、東北地域屈指の強豪である「仙台大学」に決めた。

 

ビジネスを学びに中国・上海へ

 

幼少期から慣れ親しんだ東京を離れて、宮城県柴田郡に所在する仙台大学に入学した伴さん。しかし、大学時代はサッカーだけを純粋に取り組んだ4年間ではなかったと、当時を回想する。

 

「大学に進学してからはサッカー関係ではない分野の人たちとも多く出会い、そのような体験を通じて、様々なことに興味を持つようになりました。ビジネス関係のことを学んだり、日本一周をしたり、海外にも足を運びました。部活でサッカーだけをするような生活ではなく、一般的な大学生が経験するようなことも積極的に行いました。」

 

プロサッカー選手になることを目標に進学した仙台大学での生活は、歩んでいく方向に少しづつ変化が起きた。そして、漠然と「サッカー以外の道に進むのかな…」と自身で感じるようになり、大学4年時にはサッカー部の活動ではなく、関東でビジネス関係のことを学ぶ生活を送っていた。

 

「正直、サッカーへの情熱は少し消えかけていた時期だと思います。しかし、自分の人生を真剣に考えていたからこそ、様々な人に出会い、学び、行動に移していた時期です。サッカーだけに埋もれてしまうことに危機感を感じており、自分を奮い立たせて行動していました。」

 

その思いを胸に行動し続けていた伴さんの元に、「中国の上海にある大学院に行ける」という話が届く。当時の中国は、北京五輪を終えて、上海万博を控えていた時期。経済成長真っ盛りの国に興味を惹かれ、「現地の様子を自分の肌で感じたい」と強く思った。

 

すでに内定を受けていた会社には入社を断り、中国国費留学生として上海体育学院へ進学を決意。大学卒業と同時に日本を旅立つ決断を下した。

 

本当の自分の気持ち

 

中国に到着当初は、大学院に入学するための語学カリキュラムを学んだ。その後、無事に上海体育学院へ入学。大学院ではスポーツマネジメントの分野を中国語で学んだ。

 

「幼い頃から海外に行きたい気持ちを抱いていましたが、実際に行動に移してみたことで、海外という場所への精神的なハードルが良い意味で低くなりました。中国に行った経験が、後の自分に大きく影響していると思います。」

 

と、上海に滞在中の心境を語る。

 

当時22歳だった伴さんは、このままサッカーとは無縁の生活を送るかのように思っていたが、中国現地で本当の自分の気持ちに気づくことになる。

 

「2010年の南アフリカW杯で活躍していたのは、自分と同年代の選手。メンバーに選手されていた内田篤人選手や森本貴幸選手など、自分が幼い頃に選抜などで戦ってきた選手たちが、テレビ画面の向こう側に映し出されていました。日本を代表してプレーしている選手たちを見たときに、物凄く悔しい感情を持っている自分が存在していることに、中国の地で初めて気づきました。サッカーを続けてきた彼らと、一方ではサッカーを辞めた自分。この差が、テレビ画面に映し出される側と、見る側の違いだということに気づき、サッカーでもう一度チャレンジしたい感情が生まれました。」

 

約2年間もサッカーから離れていたが、もう一度本気でプロサッカー選手を目指すことを決意した伴さん。少し現実的ではないと感じる一方、学生時代の体験や中国での生活を通じて人間的に大きな成長をしてきた自負もあり、自信があったことも事実。

 

「後悔しない人生を送るには?」と自問自答を繰り返し、「サッカー選手」という道に戻ることを決断。現地のチームに練習生という形でトレーニングに励み、週末は社会人サッカーに混ざって試合を行う生活を送った。

 

東欧で叶えた夢

 

上海でトレーニングを積む日々を送る一方、自ら連絡先を調べた世界中のチームに、自作したプレービデオと経歴書を送り続けた。そのチーム数は100以上にのぼり、Jリーグのチームにもコンタクトを取っていた。

 

積極的な姿勢が実を結び、東欧に位置するエストニアのクラブが興味を示す。このチャンスをものにするべく、2012年にエストニア現地へ向かった伴さん。

 

「現地でのトライアルを経て、エストニア1部リーグのJKタリナ・カレフというチームと契約することができました。プロサッカー選手としてのキャリアをスタートさせることができて嬉しい気持ちがある一方、プロの世界で生き残るための危機感も強かったです。チームで活躍できなければ次の道が保証されていない世界だということは自覚していたので、毎日必死に戦っていました。ただ、その部分も含めてサッカーを楽んでいましたし、欧州各国でプレーした際に出会った沢山の方々に今も感謝しています。」

 

※引用;本人提供(ヨーロッパの地で夢を叶えた伴さん)

 

 

極寒のエストニアでプロサッカー選手の夢を叶えた伴さんは、その後ラトビアリーグに活躍の場を移し、更にはポーランドリーグへ移籍を果たした。

 

選手として上を目指すために、欧州でステップアップしていくことが当時の目標であった伴さん。国を変えて移籍したことも、選手として更に活躍するための選択であったが、ポーランドリーグ2年目を終えたタイミングで、とある決断を下す。

 

※引用:本人提供(欧州では3カ国でプレーした)

 

 

新天地・カンボジアでの活躍

 

「欧州では良い経験も沢山あった反面、間接的ではありましたが人種差別だったり、食生活の違いなどで住心地に違和感を感じた経験もありました。また、国や地域にとらわれず、どこかの国のトップリーグで活躍してみたい気持ちもあり、アジアでプレーすることを考えるようになりました。さらに、当時は上海にまだ家があったことも重なり、一度アジアに戻ることを決断しました。」

 

2013年に上海へ戻ってきた伴さんは、現地であらゆる情報を集めることになる。すると、知人を通じて「カンボジア2部のチームが、1部昇格プレーオフに向けて外国人選手を探している」という情報を掴む。

 

カンボジアでの可能性に賭けて現地に渡った伴さんは、トライアルを経て「トライアジア・プノンペンFC(現:アンコールタイガーFC)」との契約を果たした。

 

そして、昇格プレーオフではチームを勝利に導く活躍を果たし、トライアジア・プノンペンは無事に翌年からカンボジア1部リーグへの参戦が決定。それと同時に、伴さんも同チームとの契約更新を果たす。

 

こうして、カンボジアのトップリーグでプレーする日々が始まった。

※引用:本人提供(トライアジア・プノンペンFC時代)

 

 

「欧州各国と比べると、カンボジアサッカーの全体的なレベルは落ちるのは正直なところです。しかし、国のレベルなどに関わらず、どんな場所でも海外現地で日本人選手が活躍することは簡単ではないと感じました。Jリーグで活躍している選手が突然カンボジアに来て活躍できるのかというと、それは実際にやってみないと分からないでしょう。海外現地で生活しながらサッカーをプレーすることは、おそらく皆さんが想像しているより簡単なことではないと思います。また、サッカーの技術だけではなく、人間力の部分も海外で活躍するには必要だと思います。これは、カンボジアに来たことによって強く感じたことです。」

 

1部リーグ昇格初年のトライアジア・プノンペンではリーグ戦5位という成績を残した。その活躍が評価され、2015年にはカンボジアリーグの強豪チームである「ナガワールドFC」へ移籍。

 

※引用:本人提供(ナガワールドFC時代)

 

 

ナガワールドFCでも中盤の要として活躍し、チームは準優勝の成績を収めた。同年も活躍した伴さんの元には国内外のチームからオファーが届いていたが、このタイミングでカンボジアを離れる決断を下した。

 

「同じ国(カンボジア)、同じチームで長い期間プレーすることもできたと思いますが、自分の中では新たなチャレンジに魅力を感じていました。リーグを優勝することはできなかったのですが、決勝戦を終えたときにカンボジアでやりきった感覚があったのも事実です。また、ベトナムやインドネシアのチームから移籍の話もあったのですが、選手としての目標はもっと高い場所にあったので、日本のJリーグやアメリカに活躍の場を移そうと考えました。そして、実際に可能性のあったアメリカに渡り、3チームほどトライアルを受けました。」

 

カンボジアでの活躍を果たし、新たな挑戦に向けて走り出した伴さん。アメリカ現地に渡って更なる高みを目指していた矢先、とあるオファーが届いた。

※引用:本人提供(カンボジアリーグで活躍した伴さん。背番号22。)

 

 

突如訪れた現役引退と新たなチャンス

 

アメリカでのトライアル中、知人を通じて「FC東京のGMが興味を示している」と連絡を受けた。その内容は詳しく聞くと、オファーの内容は「選手」としてではなく「スタッフ」としてのオファーだった。

 

「今まで自分が経験してきたことが、今のFC東京にとって必要な人材ではないかということでお話をいただきました。一度アメリカから帰国し、都内のホテルでFC東京の方に直接お会いしたのですが、自分がFC東京に入るということは、選手を辞める決断にもなります。そのときに、選手を続ける自分とFC東京で働く自分の両方を想像したのですが、ワクワクしたのはFC東京にいる自分でした。その感情に素直に従って、新たな挑戦をする決断を下しました。」

 

2016年、海外での現役生活にピリオドを打つ決断を下し、FC東京で新たなるチャレンジをスタートさせた伴さん。

※引用:本人提供(オーストラリア代表のネイサン・バーンズ選手と、通訳としてFC東京に加入した伴さん)

 

 

プレーヤーを引退することに未練は無かったのか。質問をぶつけてみた。

 

「自分の場合、選手として常に上を目指すことを目的としてサッカーをプレーしてきました。逆に言うと、上を目指せないのであれば長く現役を続ける意味がないとも思っていました。カンボジアでの最後の試合、ほんの少しの満足感を味わったのも事実で、このまま選手を辞めても悔いは無いと感じていました。また、自分の今後の生活などを色々と考えていた時期でもあり、選手を辞めることに関しては意外と未練なく決断することができました。もちろん、今でも自分がサッカーをするのは好きですが、プレーヤーとして辞めるタイミングと、FC東京から声をかけていただいたタイミングが運良く合ったとも思っています。」

 

新たなる決意を胸に、2016年からFC東京での生活が始まった。加入した初年は、当時所属していたオーストラリア代表のネイサン・バーンズ選手の「通訳」として活躍。

 

そして、2020年からは「チーフマネージャー」に就任。外国人選手への通訳の他に、チームのスケジュール管理や遠征の手配など、活動は多岐に渡っている。

※引用:本人提供(通訳業務をはじめ、FC東京での活躍は多岐に渡っている)

 

 

FC東京の一員として

 

現在、プレーヤーではない立場からサッカーと関わっているが、スタッフとしてチームを支えているからこそ、日本のサッカーの魅力や改善点に気づくことができたと語る。

 

「自分はプロになってから日本でプレーしたことがなかったので、FC東京に所属して初めてJリーグの実情を知りました。少し日本のサッカーにカルチャーショックを感じた部分もあったり、逆にいい部分も発見することができました。サッカーの技術的なことについては監督やコーチの仕事ですが、一人の人間として伝えられることについては、自分も選手たちと積極的に話すようにしています。今までの人生で経験してきたことを活かして、FC東京や日本サッカー界の発展に少しでも役に立ちたいという思いです。」

 

※引用:本人提供

 

 

また、チーフマネージャーとしての活動についても話を伺った。

 

「今の自分の役職をやりたくて専門的な勉強をしている方もいる中、自分は幸運にもチーフマネージャーという役割を与えていただいています。そのことについては本当に幸せだし、この道を選んで良かったと思っています。」

 

そして、今後の展望についても語っていただいた。

 

「もう一度海外に住みたい気持ちがあります。日本では味わえない経験や出会いがあるので、その刺激的な生活が恋しくなります。ただ、FC東京をもっと良くしたい、強くしたい、大きくしたい、という思いも強いです。正直、1年目や2年目は与えらた仕事をこなすのに必死だったのですが、年数を重ねるにつれてチームに対する思いにも変化が生まれました。役職や立場などに関係なく、自分がクラブの中心となって、さらに良い方向に舵を切っていきたいです。」

 

常識にとらわれず、強い意志で自分の人生を切り開いてきた伴さん。

 

自らの気持ちに素直になり、現状を冷静に分析し、困難と思われる状況を乗り越えていく姿勢は、FC東京のみならず、多くの現代人にとって必要とされる力である。そして、様々なことに挑戦し続けていく姿は、ある意味「生涯現役のプレーヤー」と称することができる。

 

サッカーを通じて様々なチャレンジを続ける伴和曉さんの活躍に、これからも目が離せない。

※引用:本人提供

 

 

■プロフィール

伴 和曉(バン カズアキ)

1987年8月21日生まれ 山梨県出身

ポジション:MF

 

■ユース経歴

関前FC

横河武蔵野FC Jr/Jrユース/ユース

仙台大学

 

■プロ経歴

2012 JKタリナ・カレフ(エストニア)

2012 FBグルネベ(ラトビア)

2012–2013 アルコニア・シュチェチン(ポーランド)

2013–2014 トライアジア・プノンペンFC(カンボジア)

2015 ナガワールドFC(カンボジア)

 

■スタッフ経歴

2016–2020 FC東京(2016–2019:通訳、2020:チーフマネージャー)

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