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【Jリーグ・タイ人選手初得点者】ティーラシン「”英雄”と呼ばれる理由」

アジアサッカー名選手
2022年2月2日

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近年、Jリーグでは多くの「タイ人選手」がプレーするようになり、日本のサッカーファンにとっては、馴染みのある存在に変化した。

 

移籍金・約1億3400万バーツ(約4億6500万円)で、北海道コンサドーレ札幌から川崎フロンターレに完全移籍したチャナティップをはじめ、2019年、横浜F・マリノスのリーグ優勝に貢献したティーラトンらは、Jリーグを代表するタイ国籍の選手と言えるだろう。しかし、タイ・サッカー界を代表する選手は、前述の2人だけではない。

 

 

「タイの英雄」と称される【ティーラシン・デーンダー】を、皆さんはご存知だろうか。

 

 

かつては、イングランド・プレミアリーグのマンチェスター・シティにも所属した経歴を持ち、サンフレッチェ広島や清水エスパルスでもプレー。2022年現在は、タイリーグの強豪・BGパトゥム・ユナイテッドFC(元:バンコク・グラスFC)の背番号「10番」を背負い、同リーグのタイ人最多得点記録を保持するストライカーだ。

 

タイ代表でも同様に、輝かしい記録を残してきた(※2022年1月現在:111試合出場・49ゴール)。昨年末から2022年1月にかけて開催されたAFFスズキカップ(東南アジア諸国による国際大会)では、代表チームの中心として活躍し、見事優勝を果たした。

 

”ムイ”という愛称で親しまれるティーラシンが、いかにして「タイ・ベストプレーヤー」と称されるまでの道を歩んできたのか。今回のコラムでは、彼が残してきた「結果」に着目して、筆を進めていきたい。

 

 

 

期待の若手が「マンチェスター・シティ」へ

1988年6月6日生まれのティーラシンは、元プロサッカー選手の父親から影響を受けて7歳の時にサッカーを始めた。実妹のタニーカーン・デーンダーも、現在サッカータイ女子代表に選出されており、幼少時代からサッカーと共に育ってきた。

 

2005年、タイ2部リーグのロイヤル・タイ・エアフォースFCでプロキャリアをスタート。翌年にタイ3部リーグのラパチャFCへ移籍。さらに翌2007年は、日本でも名の知られている強豪クラブ、「ムアントン・ユナイテッドFC」に移籍を果たす。

 

同年、タイ代表に当時19歳で初選出。2007年10月に開催された2010年南アフリカ・ワールドカップ(W杯)アジア一次予選、マカオ戦で代表初ゴールを記録。期待の若手ストライカーとして、国際舞台でも頭角を現したティーラシン。

 

※引用:alchetron.com

 

 

転機が訪れたのは、2007年11月。

 

タイ人起業家のタクシン・チナワット氏(タイ王国第31代首相)が、イングランド・プレミアリーグ、マンチェスター・シティFCを買収。その影響もあり、ティーラシンは同クラブへ移籍が決まる。当時は、国内だけに留まらず世界的なビッグニュースとなり、国民からの期待を一気に背負うことになった。

 

タイでは熱狂的なファンが存在するほど、注目度も人気も高いイングランド・プレミアリーグ。しかも、「マンチェスター・シティ」というビッグクラブだけに、タイ人選手が所属すること自体、大きなサプライズと言えるだろう。

 

しかし、労働許可証(ビザ)の問題により試合出場の夢は叶わず、スイスの「グラスホッパー・クラブ・チューリッヒ」に期限付き移籍。欧州デビューは、スイスリーグでのプレーとなった。

※引用:GIVEMESPORT(メディアの対応に応えるティーラシン・写真向かって右端)

 

 

タイリーグ復帰・ゴールを量産

2008年6月、マンチェスター・シティFCに復帰するも、ビザの問題は解決されないまま時が過ぎていく。また、アラブ首長国連邦(UAE)の投資会社「アブダビ・ユナイテッド・グループ(ADUG)」に同クラブが買収されると、ティーラシンは退団を余儀なくされた。

 

2009年、かつての所属先であるムアントン・ユナイテッドに移籍。タイリーグに復帰すると、それまでの鬱憤を晴らすかのようにゴールを量産。同年にリーグ制覇を果たすと、翌2010年シーズンも優勝。リーグ2連覇に大きく貢献した。

※引用:GOAL.COM

 

 

さらに、2012年はキャリアハイの24ゴールを記録。ムアントン・ユナイテッドFCを3回目の優勝に導き、タイ・プレミアリーグ得点王の座も掴んだ。ファンの間では、彼のことを「God(”神”の意味)」と呼ぶ人も現れるようになり、タイ・サッカー界におけるアイコン的な存在へ進化を遂げる。

 

彼の影響力は、ファンやサポーターだけに留まらず、現在Jリーグで活躍しているタイ人選手たちにも多大なる刺激を与えている。チャナティップやティーラトンとはムアントン・ユナイテッド時代のチームメイト。すでに海外へ挑戦していたティーラシンの活躍する姿を間近で見ていた2人が、のちに日本へ移籍することは、単なる偶然ではない。

 

 

 

2度目の欧州挑戦

2013年、スペインリーグのアトレティコ・マドリードに練習参加。この年には移籍が実現しなかったものの、翌2014年には同じくスペインの「UDアルメリア」に期限付き移籍が決定。

 

2014年8月に開催されたRCDエスパニョール戦で、ラ・リーガのプリメーラ(1部リーグ)デビューを果たし、同リーグ初出場のタイ人サッカー選手として歴史に名を刻んだ。そして、同年12月5日のコパ・デル・レイ、レアル・ベティス戦で移籍後初ゴールを記録。

 

「人生で一番緊張した。浮かした方が良いのか、外したらどうしよう、股を抜いた方が良いのか、スペインのGKは…など色んなことを考えたけど、最後は普通に打った。」

 

と、相手DFの裏に抜け出して、GKと1対1になった当時のゴールシーンを回想する。

 

※引用:worldfootball.net(UDアルメリア時代のティーラシン)

 

 

 

しかし、その後は出場機会をなかなか得られず、ベンチメンバーにすら選出されない状況が続く。それでも、彼の視線はひたすら前だけを見ていた。

 

当時、ティーラシンはメディアに向けて下記のように心境を語っている。

 

「何があったって諦めることはないよ。僕はチャンスを最大限に生かすためにより努力を続けていくだけだ。ラ・リーガは強いリーグであり、自分の国とは大きく違う。僕はここで自分を試したいし、どれだけのパフォーマンスを出せるのかを学んでいきたい。しかし、まだ僕は自信を持っている。たとえそれが難しいと分かっていてもね。」

 

結果的に、2015年シーズンからムアントン・ユナイテッドFCへ復帰することになったが、困難な状況に陥っても挑戦し続けるティーラシンの姿に、タイ国民は期待を寄せ続けるのである。

 

 

 

ティーラシンの素顔

家族は妻と息子が2人。普段は、どちらかというと「もの静かな性格」として知られているティーラシン。チームメイトから「イジられキャラ」として愛されているチャナティップとは、真逆の印象が強い。

 

しかし、一度ピッチ上に降り立った次の瞬間、凄まじい勢いで相手ゴールに迫るストライカーへ豹変する。

 

公式プロフィールでは「182センチ・76キロ」表記されており、小柄な印象が強いタイ人選手において、ティーラシンは比較的恵まれた体格である。そのフィジカル能力を活かしたポストプレー、相手DFを背負いながらの反転シュート、DFライン背後への抜け出しなど、得点パターンは多彩。

 

さらに、クロスボールへの入り方、ワンタッチシュート、味方へのチャンスメークなど、FWとして必要な能力をすべて備える『万能型・ストライカー』である。ペナルティーエリア内でのプレーは一級品で、ミドルシュートを打てるパワーも兼ね備えており、「ノッている」時のティーラシンを抑えるのは至難の業。

 

※引用:VOCKET FC(ムアントン・ユナイテッド時代のティーラシン)

 

 

「高さがあって、スピードもある。ドリブルもパスもすごく巧いんですよ。練習でも毎日マッチアップしますけど、ひとつふたつ上を行かれている感じがする。」

 

このように語るのは、清水エスパルスや横浜F・マリノスでプレーし、ムアントン・ユナイテッドFC時代(2015年-2018年 在籍)、ティーラシンとチームメイトだった青山直晃氏。

 

「こちらが120パーセントで行っても、ムイはかなり余裕がある感じでやっている。点も取れるし、得点につながる決定的なパスも出せるスーパーな選手です。あんな選手は今まで見たことがないし、パーフェクトに近い選手。どうやってタイであんな選手が生まれたのか、不思議に思いますよ。」

 

と、青山さんはティーラシンについての印象を語っていた。

 

※引用:MGR ONLINE(写真・背番号5番の青山氏と背番号10番のティーラシン)

 

 

「Jリーグ」への挑戦

タイ国内では無双状態であり、欧州にも挑戦したティーラシンの周囲には、「Jリーグ行き」の噂が絶えない状況になっていた。

 

また、Jリーグは「提携国枠」の制度を導入。タイ国籍の選手は、通常の「外国籍」とは異なる規定に変更されたため、タイ人選手にとってJリーグ移籍が優位に進む状況に変化した。この結果、彼の移籍話は現実味が帯びていく。

 

2017年12月、Jリーグへの移籍がついに正式発表。2018年シーズンより、「サンフレッチェ広島」への期限付き移籍が決まったティーラシン。満を持しての「日本挑戦」に、サポーターからの期待が膨れ上がる。

 

※引用:football-tribe

 

 

そして、ティーラシンは自らのゴールで周囲の期待に応える。

 

2018年2月24日、Jリーグ開幕戦。同じくタイ出身のチャナティップが所属する北海道コンサドーレ札幌戦に先発出場。前半28分、左サイドからのクロスにティーラシンがヘディングで合わせ、ボールはゴール右隅に突き刺さる。

 

このゴールが、J1リーグでのタイ人選手初得点となり、タイの英雄は新たな歴史に名を刻んだ。ティーラシンにとって、これ以上ない鮮烈なJリーグ・デビューを飾る。1対0で試合にも勝利し、その後もシーズンを通じてチームの勝利に貢献した。

 

※引用:prachachat.net

 

 

2018年シーズン、32試合出場・6得点を記録。当時、サンフレッチェ広島の社長を務めた山本拓也氏は、「得点以外のチャンスメークを含め、パフォーマンスには大いに満足している」と、ティーラシンのことを評価していた。

 

また、彼がピッチ外で残した功績も大きい。

 

例えば、サンフレッチェ広島は、リーグ開幕前のトレーニング・キャンプをタイで実施。現地では、子供向けのサッカー教室を開催するなど、広島とタイの結びつきが強まった。また、広島にタイ人観光客を呼び寄せる企画が持ち上がることもあった。

 

このように、ピッチ内外でティーラシンが日本とタイの両国に与えた影響はとても大きいと言える。

 

 

 

清水でのJリーグ再挑戦

期限付き移籍期間の満了により、サンフレッチェ広島を2018年限りで退団。2019年は古巣のムアントン・ユナイテッドFCでプレーするも、2020年は再びJリーグに戻る決断を下す。

 

2020年2月、「清水エスパルス」への完全移籍が発表されると、ティーラシンはメディアを通じて下記のコメントを残している。

 

「アジアでNO.1のリーグでプレーする機会を再びいただき、清水エスパルス、ムアントン・ユナイテッドに感謝しています。少しでも早くチームにフィットできるよう、戦術を理解し、チームメイトともコミュニケーションをとるなど、努力していきたい。」

 

※引用:tnnthailand.com

 

 

同年2月23日、開幕戦のFC東京戦に先発出場を果たし、移籍後初ゴールを決める。この得点は、清水にとってホーム通算700得点目のメモリアルゴール。ポテンシャルの高さを見せつけた。

2020年シーズン、ティーラシンはリーグ戦24試合(先発6試合)に出場し、3得点を記録。

 

本領を発揮したとは言い難い結果となったが、「そもそも、チームが打ち出していた戦術にはあまりフィットしないプレースタイルの選手だったのでは…」という意見も多く見受けられた。それはある意味、「本来はもっと結果(ゴール)が残せる選手である」と思われていた証拠である。

 

「ティーラシンが持つポテンシャルには、疑いの余地が無かった」と表現しても、決して大袈裟ではないはずだ。

 

 

 

タイへ復帰

2021年シーズン、ティーラシンはタイリーグ「BGパトゥム・ユナイテッド」への完全移籍が発表されると、清水エスパルスの公式サイトを通じて下記のようにコメントを残した。

 

「この1年は自分のサッカー人生にとって素晴らしい時間でした。コロナの影響もあり、またチームの結果も良いものではなかったですが、いつもサポートしてくれたパートナー、サポーター、そしてタイから応援してくれた皆さんには心から感謝しています。来年はみんなでチームをもっと成長させて、皆さんがいつも笑顔でスタジアムから帰ってくれることを願っています。これからもずっとエスパルスを応援しています!」

 

清水エスパルスが受け取った移籍金額は「約8000万円〜1億円」とも言われており、大きな置き土産を清水に残していったことになる。

 

新型コロナウイルス感染拡大の影響で、タイリーグの開催時期は欧州リーグと同じ「秋−春」に変更された。そのため、2021年2月にタイへ復帰したティーラシンは、首位をひた走っていたBGパトゥム・ユナイテッドへシーズンの途中で加入を果たす。

 

※引用:mgronline.com

 

 

自身の復帰初戦となったアウェイでのポリス・テロFC戦。ティーラシンは、またしても移籍初戦で得点を奪うと、チームは試合に勝利。自分の存在意義を、「ゴール」という一番分かりやすい形で示した。

 

その後、BGパトゥム・ユナイテッドは勝ち点を積み上げて、2020−2021年シーズンを優勝で締めくくる。2021年夏から開幕した2021−2022年シーズンのタイリーグでも、すでに5ゴールを記録(※2022年1月現在)。

 

これからの活躍にも、さらに期待が掛かる。

 

 

タイサッカーを牽引する存在

2022年1月現在、33歳を迎えたティーラシン。タイ人選手の中でも国際経験が豊富な選手の1人であることに異論は無く、サッカー選手としてベテランの領域に差し掛かった彼には、ピッチ内外で多くの役割が期待される。

 

タイのサッカー界がさらに発展するために、彼の活躍が必要であることは、もはや説明不要だろう。

 

※引用:MATICHON ONLINE

 

 

2021年12月〜翌年1月に開催された「AFFスズキカップ2020」に参加したタイ代表は、ドイツ系ブラジル人であるアレシャンドレ・ポルキン氏が新監督に就任し、ベストメンバーの布陣を揃えて同大会に挑んだ。

 

その最大の理由は、ベトナムに奪われた「東南アジアNo.1」の称号を奪還するためである。

 

3連覇を狙った前回のAFFスズキカップでは、準決勝でマレーシア代表に敗戦。そのマレーシア代表を決勝戦で破ったベトナム代表に、東南アジア王者の座を明け渡すこととなった。また、元日本代表監督でもある西野朗氏が率いたタイ代表は、2022年カタール・ワールドカップ(W杯)アジア予選での最終予選進出を逃した一方、ベトナム代表は最終予選に進出して日本代表と同グループで戦っている。

 

2018年大会ではアジア最終予選まで進出を果たしており、東南アジアトップと認識されつつあった状況だけに、「AFFスズキカップ」と「2022年W杯アジア予選」での敗退は、タイサッカー界に大きな衝撃を与えた。

 

その敗北を払拭するためにも、AFFスズキカップ2020での「優勝」は、タイ代表にとっての至上命題。同大会で背番号10を背負うティーラシンには、その経験と実績に大きな期待が寄せられた。

 

※引用:khaosod.co

 

 

迎えた2021年12月、グループステージでタイ代表は他国に圧倒的な力の差を見せつけて、難なく準決勝進出を決める(グループステージ・上位2チームが決勝トーナメントへ進出)。特に、第2戦のミャンマー代表戦では、ティーラシン自身2ゴールを奪う活躍を見せる。

 

準決勝、宿敵ベトナム代表を相手に2試合トータルスコア「2−0」で勝利を収め、2大会ぶり9度目となるファイナル進出を決めたタイ代表。ライバルを撃破した勢いでインドネシアとの決勝に挑み、1stレグ「4ー0」と快勝、圧倒的なアドバンテージを得る。そして、2022年1月3日に開催された決勝戦の2ndレグは「0−0」のドロー、タイ代表は無事に東南アジア王座の奪還に成功した。

 

ピッチ内外でティーラシンの振る舞いを間近で見てきたチャナティップやティーラトンが活躍し、彼らが成熟の時期を迎えたいま、タイ代表の進化には新たな若手タレントの台頭が必須だ。次世代を担うタイ人選手たちにとって、「ティーラシン」という高い壁を超えることは、決して簡単なことではない。きっと、ティーラシン自身は、今後も東南アジア屈指のストライカーとしてゴールを奪い続けることだろう。

 

しかし、”タイの英雄”と呼ばれる男を超える選手が現れたとき、タイは日本と肩を並べるような「アジア屈指のサッカー大国」と呼ばれる日を迎えるのかもしれない。その指標となるのが、ティーラシン・デーンダーという選手である。彼の今後の活躍にも、目が離せない。

 

 

 

■プロフィール
ティーラシン・デーンダー
1988年6月6日生まれ タイ・バンコク県出身

 

■ユース経歴
2003-2005 アサンプション・ユナイテッド
2005 ロイヤル・タイ・エアフォース

 

■プロ経歴
2005 ロイヤル・タイ・エアフォース
2006 ラパチャ
2007 ムアントン・ユナイテッド
2007-2008 マンチェスター・シティ
2008 グラスホッパーズ II (loan)
2008 ラパチャ
2009-2020 ムアントン・ユナイテッド
2014-2015 アルメリア (loan)
2018 サンフレッチェ広島 (loan)
2020 清水エスパルス
2021 パトゥム・ユナイテッド

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