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2022年・FIFAワールドカップが開催されるカタール。その首都であるドーハにて「寿司職人」として活動する【林 康太郎】さんの以前の職業は、なんと「プロサッカー選手」である。しかも、プレーした場所は日本ではなく「海外」。中南米の各国を渡り歩いた異色の経歴の持ち主である。
現在のようにインターネットが普及していなかった約20年前、南米の古豪・ウルグアイを皮切りに、コロンビアやコスタリカなどでプレーし、現在は寿司職人としてカタールに拠点を構える林さん。世界を舞台にボールを追いかけていた「プロサッカー選手」から、日本文化の代名詞とも言える「寿司」を握るようになるまでに、林さんは一体どのような人生を送ってきたのだろうか。
今回のコラムでは林さんの人生にスポットを当てて、異色の経歴から読み解く「海外挑戦」について考えていきたい。
林 康太郎(寿司職人・元プロサッカー選手)
1982年生まれ。2000年、高校卒業後に南米ウルグアイへ渡る。その後、コロンビア、コスタリカなどを渡り歩き、プロサッカー選手としてプレー。2008年、寿司職人を目指し日本へ帰国。寿司チェーン店として有名な「すしざんまい」に勤務。現在は、カタール・ドーハの「Morimoto Doha」で働く。
ーどのような経緯で南米に渡ったのでしょうか?
高校時代の監督の繋がりで、ウルグアイに行くことができました。現地でのトライアウトに合格して、高校を卒業したタイミングで渡航する決断をしました。
私自身はサッカーエリートでもなく、Jリーグのチームから声をかけられることもありませんでした。三浦知良選手のように南米に行って、「海外でプロサッカー選手になる」という心意気でした。
しかし、現地に着いた当初は嫌で嫌でしかたなかったです。言葉は分からない、持ち物は無くなる、喧嘩は日常茶飯事。サッカーどころではなかった覚えがあります。
ー林さんがプレーした国の現地の様子はいかがでしたか?
まず、私がプレーした国の1つであるコロンビアでは、標高が高いことが大変でした。プレー中は息苦しいですし、就寝するときには酸欠状態になって夜中に起きてしまうこともありました。
コスタリカのチームに在籍していた当時は、練習開始の時間が「朝7時」でした。年間を通じてコスタリカ現地の気温は30~40度となりますので、まだ涼しい時間帯である朝に練習をしていました。また、カリブの人間は踊りやお酒が大好きです。夜は遊びに行ってしまうので、選手たちが遊びに行かないよう、当時の監督が練習時間を朝に設定していたという中南米らしいエピソードです(笑)。
しかし、「今日楽しかったらいいや!」「明日なんか気にせず今を楽しもう!」というマインドが、私には合っていました。日本人からすると少しぶっ飛んでいるように思われるかもしれませんが、彼らの飾らない性格や、現地の生活スタイルが気に入りました。
ー現地での生活に馴染むために行った工夫はありますか?
海外に渡航した当初は、現地の言葉であるスペイン語をあまり勉強せず、社交的な姿勢も見せるこことができませんでした。ですが、現地の生活に慣れてくると同時に、少しづつ自分の心に余裕が出てきました。チームメートたちとはピッチ内だけでなく、ピッチ外でも一緒に遊ぶようになると、周りの反応も良くなっていきました。ようやく、現地のコミニュティに入れたという感覚はありました。
ーサッカーにおいては?
サッカーでも、海外2年目あたりから「監督の言っていることがわからないとダメだな」ということを痛感しました。極端な話、通訳がつくトッププロであれば語学力はそこまで必要ないのかなとも思います。
しかし、私のようにどん底の状態から「練習させてください!」と言って契約を勝ち取らなければならない選手は、最低限のコミニュケーションが取れる能力は必要だと感じます。契約書、家を探すこと、交渉すること、全て言葉がわからないと何もできないからです。
ー中南米の数カ国でプレー経験がありますが、各国のサッカーの環境はどうでしたか?
コロンビアは芝が綺麗に整備されていて、非常にサッカーの環境は良かったです。それに比べると、ウルグアイ、コスタリカ、グアテマラは少し落ちるイメージです。中南米の中でも、サッカーのスタイルは国によって全く異なりますが、その国の環境がサッカーの特徴を作り上げていると感じました。例えば、コロンビアには技術の高い選手が他国より多い印象がありますが、それは国のサッカー環境と直結してると思います。
余談ですが、細かい技術やパスを繋ぐプレーが得意な日本人選手は、コロンビアのサッカーに合うのではないでしょうか。
ー現地の生活や給料、プロサッカー選手としての待遇なども気になります。
コロンビアは、南米の中ではブラジルの次にサラリーが良いのではないでしょうか。友人に話を聞いたところ、1部リーグの平均月収は30-40万円くらいで、中には億単位の給料をもらっている選手もいると聞きました。2部リーグになると平均10万円前後でしょうか。若い選手も多いですし、現地では10万円でも十分な額だと思います。
ただ、サラリーはチームの財政状況によっても大きく異なります。たとえば、1部リーグの18チーム中、上位10チームはしっかり約束通りの給料を支払ってくれたとしても、それ以下のチームは不安定な経済状況であったりもします。
私がコロンビア時代に在籍していたチームでは、当時は1部リーグで降格争いをするような状況で、試合に負けると給料がもらえない時がありました。チームから1~2ヶ月給料が支払われなくなった時期もあり、その時は貯蓄を蓄えていたキャプテンの選手に、お金を借りたこともありました。
ー南米はサッカー強豪国が多いですが、日本との違いは何でしょうか?
「ハングリー精神」が大きく違う部分です。日本人選手の技術は世界的に見ても高く、むしろ南米の選手たちより上手い日本人選手が多く存在すると思います。それでも、南米の多くの選手がヨーロッパに行き、結果を残している理由は、「恐れていない」ことではないでしょうか。
「失敗してもまぁいいや」「今日ダメでもまた明日やればいいや」という感覚が、サッカーにおいて良い方向に発揮されていると思います。日本人にはあまりない感覚ですよね。
「サッカーでしかメシを食っていく術がない」という状況で、彼らは結果を出します。チームを勝たせるのか否かというシーン、ギリギリの勝負の場面、そのような状況下において、恐怖心が無い選手の方が自分の力を発揮できるのではないでしょうか。
ー林さんご自身はいかがでしたか?
私も失うものは何もなかったのですが、彼らはもっと失うものがなかったのかなと、今振り返ると感じます。良い意味での精神的な図太さなど、メンタル面の学びは多かったです。
他にも、日本との違いで言えば「自由」なところです。試合前にお酒を飲んで、クラブ行って踊って、次の日は試合に出てしっかり結果残します。本当に彼らはタフです(笑)。
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ー海外で7シーズンをプレーした後、現役を引退するきっかけは何だったのしょうか?。
コロンビアのトップ選手やウルグアイ代表チームと練習試合をしたことがあり、本当の世界トップである選手を間近で見たときに、「どれだけ努力してもこの選手達には敵わない」と感じたことが1つの要因です。
さらに、怪我を抱えていたことも関係しています。ウルグアイにいたときに膝を怪我して、少しレベルの低いコスタリカやグアテマラにプレーの環境を変えたのですが、元に戻る気配がなく…。
最終的に、短期契約でコロンビアでもプレーしたのですが、契約が更新されないことになりました。個人トレーナーを雇うようなこともできなかったので、当時一人でリハビリやトレーニングをしていたのですが、気持ちが「ぷつん」と切れてしまいました。自分で作成したメニューがすごく辛く感じたり、「自分は何をやっているんだろう」と感じるようになっていました。
ーそして寿司の世界へ。現役の頃から「寿司職人」になるイメージはありましたか?
サッカーをやっている時は基本的にはサッカーのことしか頭になかったです。コロンビアでクビになって、苦境に立たされたときに初めて次のステップのことを考え始めました。
サッカーから離れてみようと決めたタイミングで、ヨーロッパや中国などに旅立ち、世界中を見て周りました。すると、最終的に「また南米に住みたい」という自分の素直な感情に気づきました。
同時に自分の好きなことを挙げてみると、「甘いものが好き」「食べることが好き」だったので、パティシエとかパン屋さんをやろうかと考えた時期もありました。
そのように色々と考えているなかで、「南米で、日本人として何か勝負できるものがあるのか?」と自問自答したときに、「日本食・寿司」という答えにたどり着きました。
ー本当に凄いです。ただ、「サッカー選手」から「寿司職人」はとても大きな振り幅だと思います。すぐに気持ちを切り替えることはできたのでしょうか?
「元プロサッカー選手」というプライドも当初ありましたが、それ以上に「寿司のことを学びたい」という気持ちが強かったので、すごく楽しかったです。「寿司職人」の世界は、どちらかと言うと体育会系です。大将がいて、上下関係が厳しい。そういう気質も、自分の性に合っていたのかもしれません。
日本で寿司を握り始めて、ドバイの店を経由して、現在はドーハで寿司を握っています。サッカー選手としての経歴より、現在は寿司職人としての経歴の方が長くなりました。
ー現在はカタール・ドーハでお寿司を握っていて、既に寿司職人としても「海外挑戦」をされています。そのチャレンジ精神はどこからくるんですか。
「コロンビアで寿司屋を開く」ということが、私の大きな夢です。
その目標を達成するためには、お店を独立する前に日本以外の国で寿司職人としての経験を積みたかったことが、現在カタールで働いている理由です。
私には家族がいますので、中東の話しを受けた時には家族に相談はしましたが、カタールは治安面などを調べても悪くないことが分かり、良いチャンスだと直感を信じて日本を旅立ちました。
ー日本で過ごすことは選択肢に無かったのでしょうか?
南米から帰国し、日本では寿司職人として約10年間暮らしていたのですが、日本にいるとどうしても自分自身に甘えてしまう部分がありました。環境などに関係なく、どこにいても自分に対してストイックになれると思っていましたが、日本では色々な選択肢が存在します。そのなかで、努力を怠ったってしまったり、たくさんある誘惑に負けてしまうことがあったので、「また海外に行こう」という心境になりました。
海外に出ると、普通に生活を送っていても、自分自身「頑張れている」と感じることができ、さらに気が引き締まる思いや、背筋が伸びるような感覚があります。実際にカタールに来てみると住心地も良く、家族も喜んでいます。再度、日本を飛び出して良かったと感じています。
ー過去のインタビューでも、いつかコロンビアで寿司屋を開く夢を語っていられましたね。
その気持ちは、今も変わらず自分の心のなかで存在しています。現在はコロナ禍や治安の問題などがあり、すぐにコロンビア現地に行くことは難しいのですが、2~3年後には勝負したいと考えています。
一方、2022年にカタールでFIFAワールドカップが開催される予定なので、サッカーの世界にも携わりたいと思っています。現地で唯一の日本人シェフなので、そのことを活かしてサッカーにも関われたら嬉しいです。
ー現在はどのようにサッカーと関わっているのでしょうか?
私自身、エージェント業などは今はやっていませんが、今後もっとサッカーには携わっていきたいと思っています。やはり、サッカーを辞めてもサッカーは好きです。プロの試合なども見ますし、自分自身がプレーもします。
今でも、サッカー関連でコミニュティが広がることが多いです。お店に来客する方の中には、サッカー好きな人やサッカー関係者もたくさん来てくれますし、「サッカーが自分の世界を広げてくれた」と、引退後も常に感じます。
また、カタールには日本人選手が来てプレーするチャンスがあると思うので、もっと中東でプレーする日本人選手も増えたら良いなと思っています。
ーカタールの国内リーグはどうですか?
プロリーグは1部リーグが12チーム、2部リーグは16チームです。首都やその周辺を本拠地とするチームが多く、車で10分ほど行けば違うチームの本拠地があるような状況です。そのため、各チームに地元のファンがつきにくい環境でもあります。
現地の人たちは金銭的に恵まれている人が多く、南米とは違い勝敗にこだわりがない傾向がリーグ全体に感じられます。スタジアムに直接足を運ぶサポーターの数は多くないのが現状で、テレビで試合を見る人の割合が多いです。個人的には、プロになりたい日本人選手にとって、一つの選択肢として面白いと思います。
ー最後に、海外挑戦をするか悩んでいる選手にアドバイスを伺いたいです。
近年は海外サッカーに関する情報がネットなどに溢れていて、どの国のリーグも魅力的に見えてしまうと個人的には感じています。その影響から、どこに行けば良いのか、またサッカーをいつまで続けようと迷う選手も多いはずです。しかし、色々と考えすぎて「時間を無駄にしてしまうこと」は、非常にもったいないと思います。私が現役の時は、今のように選択肢が多くは存在しませんでした。ですが、「サッカーをしたい!」という一心で、ウルグアイへ勇気を持って向かいました。
人生において「時間」は取り戻せません。だからこそ、チャレンジできるときにチャレンジするべきだと思います。セカンドキャリアについては、極端に言えば「いくらでも選択肢がある」と思います。まさに、私がサッカー選手から寿司職人になったように、本気で目の前のことに向き合えば、何にでもなれると思っています。
サッカーで海外挑戦をしたいのであれば、まずは勇気を持って一歩踏み出すことが大切ではないでしょうか。他の地域も同様かもしれませんが、私が行った中南米では、経歴などに関係なく本当の実力社会です。日本では経歴が無かったとしても、海外にはもしかしたらチャンスが転がっているかもしれません。そのチャンスを掴むのは、その選手次第だと思うので、できるだけ悔いのない選択をして欲しいと思います。
迷っている暇があったら、まずは色々やってみることが大切ではないでしょうか。
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「物事を常に前向きに捉える」
この事実を、中南米の地で学んだ林さん。
コロナ禍の情勢が影響し、色々と制限のある現在の社会。しかし、恐れない勇気を持って自分の好きなことに突き進むことができる林さんの「強さ」は、筆者をはじめ、読者のみなさんにも勇気を与えてくれるのではないでしょうか。
また、林さんのインタビューを通じて、中南米・中東が秘めている様々な「可能性」が大きいことを実感しました。ヨーロッパのサッカー主要国にチャレンジするのと同じくらい、日本人にとっては未開の地である中南米や中東に活躍の場を求めることも、サッカー選手のキャリアとして1つの魅力かもしれません。これから海外挑戦を考えている選手は、選択肢の1つとして中南米や中東にも視野を広げてみてはいかがでしょうか。
最後に、今回インタビューを受けてくださった林 康太郎さんの今後の活躍にも目が離せません。コロナウイルスの影響が収まった際には、カタール・ドーハの「Morimoto Doha」に足を運んでみてはいかがでしょうか。