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【日本へ凱旋帰国】フィリピン人の母を持つ嶺岸光の夢舞台

選手物語
2020年5月23日

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グローバルFCでゴールを決めた瞬間(引用:嶺岸光 facebook)

 

2020年1月、味の素スタジアムで行われたACLプレーオフ、FC東京vsセレス・ネグロスFC(フィリピン)。セレス・ネグロスFCの一員として誰よりも闘志を燃やし、特別な思いを抱いていた嶺岸光。日本人の父とフィリピン人の母を持つ日比ハーフの嶺岸は2016年からはフィリピン代表にも選出されていて、国際Aマッチ12試合の出場を果たしている。

 

そんな嶺岸は、このACLプレーオフ対FC東京戦について『自分のサッカー人生でも1、2を争うくらい特別な試合でした。』と語っている。

 

日本でプロになれなかった嶺岸は、なぜ海外で活躍することができたのか。なぜフィリピン代表まで上り詰めることが出来たのか。嶺岸に海外へ挑戦した経緯や、なぜ海外で活躍できているのかを聞いてみた。

 

嶺岸光

宮城県仙台市出身、1991年6月5日生まれ。宮城県の聖和学園を卒業後、仙台大学へ進学。大学時は北海道・東北選抜に選出されるも、日本でのプロ入りの夢は叶わなかった。大学卒業後、グローバルFC(フィリピン)、パタヤ・ユナイテッドFC(タイ)、JLチェンマイ・ユナイテッドFC(タイ)と渡り歩き、現在はフィリピンの強豪セレス・ネグロスFCでプレーしている。

 

 

「正直プロサッカー選手になる事を諦めていた」

プロ生活をスタートさせたグローバルFC時代(引用:グローバルFC Facebook)

 

大学卒業後にフィリピンでプロサッカー選手に。そしてリーグMVP獲得、フィリピン代表選出、タイ1部リーグ移籍、ACLプレーオフでFC東京と対戦。一見、嶺岸のサッカー人生は順調に見えるが、「正直プロサッカー選手になる事を諦めていた時期もあります」と言うほど、苦しんでいた時期もあった。

 

大学卒業後は日本でプロになる事はできず、地元のサッカークラブのコーチのアルバイトをしながらチームを探す日々が続いていた。当時の月給がコーチの収入のみで約10万円ほど。そんな嶺岸を1番近くで見ていた父から「光、もうサッカー諦めて普通に仕事した方がいいよ。」と言われ、そこで嶺岸は「あ、俺もう諦めなきゃいけないのかな?」と気づき泣き崩れた。当時の心境について嶺岸は「頭の中が真っ白になって、俺もとうとう就活を始めなければいけないのかと思った」と語っている。

 

大学卒業と同時にプロになれなければ大体の人はそこで諦めてしまうだろう。嶺岸も同様、大学卒業後の半年間はチームを探したものの見つからず、1度サッカー選手になることを諦め就職活動を始める。

 

 

ある出会いが人生を変える

今期から所属しているセレス・ネグロスFC(引用:セレス・ネグロスFC Facebook)

 

サッカー選手になることを諦め、就職活動を始めようとした時に嶺岸の人生を変える出会いが訪れる。それは嶺岸と同じく日比ハーフでフィリピン代表経験もある大友慧との出会いだ。この大友に出会い、海外のサッカー事情、アジアでプロサッカー選手になる意味について話を聞いて、これまで嶺岸の心の中にあった「日本でプロにならなければいけない。Jリーガーになれなかったら失敗。」という固定概念が覆された。

 

嶺岸は「大友に出会い、アジアサッカーの魅力やアジアでプロとしてプレーする意味を感じた。日本でくすぶってるくらいなら思い切ってチャレンジしようと思った」と話しているように、そしてこの日を境に価値観、考え方が大きく変わり、嶺岸はフィリピンリーグへの挑戦を決意した。

 

そこから友人や、今まで出会った人脈がありそうな人達に片っ端から連絡を取り、フィリピンリーグ1部のグローバルFCへトライアウトを決めた。そしてトライアウトが決まり次第すぐにフィリピンへ飛び、現地で評価されチームとの契約へと辿り着いたのだ。

 

変な固定概念、プライドを捨てることが出来たことがとても大きかったと筆者は思う。もちろん上記の人との出会いが嶺岸を変えたということは間違い無いだろう。しかし、行動を起こしたのは嶺岸自身だ。「思い立ったらすぐに行動」この行動力こそが嶺岸が海外で活躍出来ている理由の1つなのは間違いない。

 

フィリピンで活躍しタイリーグへ

パタヤ・ユナイテッドFC時代(引用:嶺岸光 facebook)

 

フィリピンに来てからの嶺岸はとにかく必死だった。「試合に出て結果を残さなければ自分はここで終わり」そう思いながら毎日を過ごしていた。その気持ちがあったからこそ嶺岸は3シーズンをこのフィリピンのグローバルFCで過ごす事ができたのだと筆者は思う。

 

そして嶺岸は、このフィリピンの3シーズンで大きく飛躍する。1シーズン目からコンスタントに試合出場を重ね、2シーズン目にはリーグMVP獲得、フィリピン代表初選出並びに国際Aマッチ初出場、3シーズン目にはAFCカップ出場。さらにこの3シーズンは3年連続リーグチャンピオンにもなっている。

 

リーグチャンピオン、リーグMVP、そしてフィリピン代表選出。これは十分と言っていいほどの結果を示す事が出来たと言えるだろう。そんな順風満帆のフィリピン生活を送っている嶺岸はさらなるステップアップを目指し、近年、力をつけてきているタイリーグ1のパタヤ・ユナイテッドFCへと移籍する。タイ代表選手はもちろん、各国のトップリーグでプレーしてきた選手なども多くいてリーグのレベルは高い。参考までに、元日本代表でブンデスリーガなどでも活躍した細貝萌も現在はタイリーグ1でプレーしている。そんなタイリーグではプレースタイルや、チームから求められていることのすれ違いなどもあり、思ったようなパフォーマンスを発揮することはできなかった。当時について嶺岸はこう語っている。

 

「アジアカップ本戦のフィリピン代表メンバーに選ばれるために、より高いレベルでプレーしたいと思いタイリーグへ移籍しました。しかし当時のタイリーグは外国人枠が外国人3人、アジア人1人、アセアン1人の合計5人で、ベンチには5人全員入れるものの、試合にスタメン出場出来るのは4人だけ。僕はいつもベンチスタートでしたね。それでほとんどが交代出場で、あまり活躍もできずフィリピン代表にも呼ばれなくなりました」 

 

タイリーグ1では思ったような結果を残せず、嶺岸は活躍の場をタイリーグ2のJLチェンマイ・ユナイテッドFCへと移した。そこでも移籍当初は先発出場が多かったものの、2度の監督交代などに悩まされ思うような活躍はできなかった。このタイで過ごした期間、嶺岸はフィリピン代表とは離れた時期を過ごした。

 

タイリーグでは思うような活躍はできず、2020シーズンにフィリピンの強豪セレス・ネグロスFCからオファーを受け、再びフィリピンリーグへと戻る決断をした。この移籍について嶺岸は「タイで試合に出れないでくすぶっているより、フィリピンで試合に出て結果を残した方が代表復帰は早いと思った」と語っているように、嶺岸のフィリピン代表復帰にかける思いは強い。

 

ACLプレーオフ】FC東京との凱旋マッチ

ACLプレーオフFC東京戦(引用:嶺岸光 Twitter)

 

海外でプレーしている日本人選手達の多くは日本でプロになることができず、海外へと挑戦の場を移したといった形が多い。嶺岸も同様だ。そんな海外でプレーしている日本人選手たちの1つの目標であるのが「日本への凱旋」だろう。Jリーグチームへの移籍、日本でJリーグチームと対戦など、形は様々だが日本への凱旋を目標にしている選手がほとんどだと思う。

 

そんな多くの選手達の目標とする舞台に嶺岸は立った。日本ではプロになれず苦しい経験を経て、その悔しさを糧に海外で飛躍し、AFCアジアチャンピオンズリーグというアジアNo. 1を決める大会でJリーグの強豪FC東京と対戦。「外国のチームで日本のチームと日本で試合をするっていうのは本当に不思議な感じだった」と感慨深そうに話していた。

 

筆者も実際にスタジアムに足を運んだが、その日のピッチコンデションは大雨の影響もあり決して良いと言える状況ではなかった。「あのようなピッチなのでなんとも言えないが意外と冷静にプレーできた。FC東京が相手だからひるむとかいうのは全くなかった」と話しているように、全くひるむことなく、堂々とプレーをしていたのを今でも鮮明に覚えている。

 

試合後、嶺岸は「日本人の父とフィリピン人の母を持つ自分が、親両方の国でプロサッカー選手として自分の姿を見せれた事を誇りに思います。少しは恩返しが出来たかなと。」日本人の父、フィリピン人の母に対して感謝の意を示した。試合には負けはしたものの嶺岸の表情は充実感で溢れていた。それと同時に「もっと頑張らなければいけない。もっとみんなから知ってもらえるような選手になりたい」と更なる闘志を燃やし、フィリピン代表復帰へ意気込んでいた。

 

取材を通して、常に上を目指す向上心の高さを感じた。「自分が今、何をしなければいけないのかを把握できていて、それを実行できる」それが嶺岸の強みなのではないかと筆者は思う。この気持ちがあったからこそ、フィリピンリーグで活躍できているのだと思うし、タイリーグで結果を残せない時期も腐らずに「今自分がすべきこと」にフォーカスして行動できていたのだと考える。この一戦が海外日本人サッカー選手達に与えた影響は非常に大きいだろう。

 

 

フィリピン代表にかける思い

フィリピン代表で初ゴールを決めた瞬間(引用:嶺岸光 facebook)

 

ここ数年フィリピン代表からは遠ざかっているが、今年の嶺岸の活躍からしても「代表復帰は近い」と本人自身も感じているようだ。そんな嶺岸の代表にかける思いについて聞いてみた。

 

「最初はフィリピン代表になることによって自分をアピールできるし、ステップアップとしか考えていませんでした。しかし、アジアカップ最終予選のタジキスタン戦を境にその考えは変わりました。このタジキスタンに勝てばフィリピン代表史上初のアジアカップ本戦出場だったんです。僕はベンチだったんですが、フィリピンの歴史を変える瞬間に立ち会っている重圧、1点の重み、フィリピン国民が自分達にしている期待、全てを肌で実感しました。

代表は自分のためではなくて国のために戦うもの。自分が良い悪いじゃない。国のために自分がどうあるべきか、何をしなければいけないのかを今は考えるようになりました。これまでの悔しさを胸にもう1度、必ず代表復帰します。国を背負って気持ちのこもったプレーをします。」

 

嶺岸のフィリピン代表にかける思い熱さに驚かされたと同時に、こういう選手が代表選手になるべきなんだなと感じた。今後の目標については「まずは代表復帰。そのためにチームで結果を残し続ける」と力強く語ってくれた。今回の取材に対しても「俺、まだまだこれからなんで!」と笑いながら話してくれたのは印象的だ。

 

最後にこれから海外へ挑戦しようとしている人達へのアドバイスを聞いたところ、「サッカーを続けたい、諦めたくないって思ってるんならかっこいい事は言ってられない。まずはプロという土台に乗れるかが重要で、そこに乗れればあとは自分次第でいくらでもチャンスはあります。今回の自分みたいに。日本でプロになれなきゃサッカー人生は終わりっていう変な固定概念は捨てて、広い視野で物事を見る必要があるかなと。後はどれだけサッカーを愛しているかですね。サッカーを愛していたら、しがみついてでも続ける努力をするはずです。」

 

「どれだけサッカーを愛しているか」これは嶺岸本人が心からサッカーを愛しているからこそ言える事なのだろう。変なプライドを捨て、広い視野で物事を見て、絶対に諦めない強い信念を取材を通して嶺岸から感じた。これは海外で活躍するためには間違いなく大切な要素だと思う。しがみついてでもサッカーを続ける努力をしたからこそ、今の嶺岸があるのだろう。

 

取材をしていく内に、こんなにもサッカーに対して真摯に向き合い、フィリピン代表復帰へ熱い思いを抱いている嶺岸のファンになっていた。多くの挫折を乗り越えたサムライ、嶺岸がフィリピン代表で活躍している姿を見たいとワクワクしている。今期の活躍に注目だ。

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