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【地域リーグから国際大会の舞台へ】小林大介「素直な気持ちでサッカーと向き合う」

選手物語
2020年8月25日

アジアサッカー連盟が主催する、クラブチームによるサッカーの国際大会である「AFCカップ」。この大会は、欧州で言うところのUEFAヨーロッパリーグ(旧UEFAカップ)に当たる大会である。

 

2020年、この国際大会にカンボジアリーグのチャンピオンである、スバイリエンFCの一員として出場している一人の日本人選手がいる。

 

【小林 大介】選手。

 

2018年より同チームに加入したMFだが、日本ではプロになることができなかった選手の一人である。

 

地域リーガーとしてプレーしていた小林選手が、いかにして国際大会の舞台までたどり着いたのかを、本人のサッカー人生を振り返りながら紐解いてみる。

 

※引用:スバイリエンFC 公式Facebookページ

 

 

地元新潟からプロを目指す

 

新潟県出身の小林選手は、地元である上越市でサッカーを始める。小学生の頃は上越FCジュニアに所属し、全国大会にも出場。小学校卒業時には「プロサッカー選手になる」と記して、タイムカプセルを埋めた。

 

中学生になってもその情熱は変わらず、所属していたクラブチーム、OFCファンタジスタにて日々のトレーニングに取り組んだ。進路を決める際は、当時の指導者同士の繋がりもあり、県内のサッカー強豪校である新潟工業高校への推薦進学を決意。サッカーへの情熱はどんどん増していった。

 

高校時代も、全国高校サッカー選手権出場を目指して尽力し続けた小林選手。ただ、高校生活3年間でチームは全国大会出場には届かず卒業を迎えた。しかし、プロになりたい一心でサッカーを続けてきた本人の情熱は消えることなく、北信越地域のサッカー強豪大学として知られる、石川県の北陸大学へ進学を決めた。

 

「プロサッカー選手になりたい一心で、子供の頃から過ごしてきました。進路を決めることに関しても、全ては”サッカー”が基準です。それぐらい、サッカーと真剣に向き合ってきました。」

 

 

プロに届かなかった大学時代

 

大学生となった小林選手の目標は、幼い頃と変わらずプロサッカー選手になること。3年目からはスタメンとしてプレーし、北陸大学の中心選手として活躍した。

 

※引用:本人提供(下段・背番号5が小林選手)

 

 

しかし、最終学年となった4年生になっても、Jリーグのチームから具体的なオファーは届かない。そこで小林選手は自らアクションを起こし、Jリーグの数チームに直接出向いて練習に参加したが、最終的には契約するまでに至らなかった。

 

「自分が描いていたシナリオは、大学卒業後にJリーグでプレーすること。少しおこがましいですが、当時はそれ以外考えられませんでした。しかし現実は、Jのチームとは契約できない実力で、その事実に目を向けると本当に悔しかったです。」

 

そう語る小林選手だが、シンガポールリーグに所属しているアルビレックス新潟シンガポール入団の話しが、大学4年生のときに持ち上がっていた。場所は日本ではなく海外だったが、プロサッカーになれるチャンスである。しかし、この当時は「海外」という選択肢が頭の中に無かったと言う。

 

「自分が海外でプレーするなんて全く想像も付かず、当時は日本国内以外の選択は考えられませんでした。”選ばなかった”というよりは、”選べなかった”という表現の方が正しいかもしれません。その影響もあって、Jリーグのクラブにこだわってチームを探していました。」

 

結局、日本国内ではプロ契約できるチームが見つからないまま時が過ぎていく。それと同時に、北信越の地域リーグに所属していたアルティスタ東御(現:アルティスタ浅間)からのオファーが届いていた。

 

「自分が追い求めていたプロのカテゴリーではなかったので、最初は正直迷いました。ですが、プロからオファーが無い現実を受け入れて、前に進まなければなりません。サッカーを続けられるのであれば、早い段階から声を掛けてくれていたチームでサッカーを続けようと決めました。最終的に決断したのは2015年の2月と遅かったのですが、自分を受け入れてくれたアルティスタには感謝しています。」

 

 

地域リーグ時代の苦悩

 

大学卒業後、2015年シーズンから北信越フットボールリーグ1部のアルティスタ東御に入団した小林選手。当時を振り返ると、仕事とサッカーを両立する生活がとても大変だったと言う。

 

「サッカーだけでは生活ができないので、チームから仕事を斡旋してもらい、選手全員がサッカー以外で仕事をしている環境でした。平日は毎日仕事をして、その上でサッカーも真剣に取り組む。コンディション調整やトレーニングなど、その生活リズムに慣れるのが大変で、当時はとても苦労しました。」

 

このような環境の中でもサッカーと真摯に向き合った小林選手は、加入1年目から試合に出場し、中心選手として活躍する。ただ、自分が追い求めてきた「プロサッカー選手」ではない生活に、少しずつ違和感も感じていた。心の中の葛藤とも戦いながらプレーしていた地域リーグ時代。

 

しかし、そこで出会った海外リーグでプレーしていた経験がある選手から、海外現地での実体験や現状を聞くこととなる。その話しを聞いているうちに、大学時代には全く想像も付かなかった「海外」に興味を持ち始め、少しずつ心が揺れ動いていく。

 

「海外リーグを経験していた選手の話を聞いて、自分が今からプロサッカー選手になるには、海外に行くしかないと考えるようになりました。自分の目標はプロサッカー選手になることで、それを叶えたい一心で小さい頃からサッカーを続けてきたのが事実です。たとえ場所が日本ではなく海外だったとしても、自分の追い求めてきた夢を叶えられるチャンスがあるならば、そこにチャレンジするべきだと考えて、海外に行くことを決意しました。」

 

新たな目標を掲げた小林選手は、アルティスタ東御を1シーズンで退団。自分の夢を叶えるために日本を飛び出し、大学時代には想像もしていなかった「海外」へのチャレンジを決断した。

 

このように決意を固めることができたのは、地域リーグ時代の経験があったからこそだと、小林選手は当時を振り返る。

 

※引用:本人提供

 

 

初の海外挑戦へ

 

2016年1月、大学時代の先輩がいるという理由で東南アジアのタイに渡った小林選手。当時は代理人やコーディネーターに頼らず、自身で現地チームの情報をSNSなどでリサーチし、プロクラブへのトライアルを受けていた。しかし、契約までの道のりは遠く、現実は甘くなかった。

 

「当時は右も左も分からないまま現地に向かいました。移籍期間が存在することも知らなかったぐらいです。結局、現地に向かったのは1月で、移籍期間が閉まるギリギリのタイミングでした。多くの外国人選手たちは、もっと早い時期から現地入りしてトライアルを受けていました。なんとか練習参加ができたとしても、そもそも自分がそのチームに求められて来たわけではなかったので、それを覆す実力を発揮することができず、契約までに至りませんでした。」

 

タイで上手くいかない時間を過ごすなか、アジアの国々を中心にエージェント業を手掛けている真野浩一氏(GOAL Sports Agency 代表)と現地で出会い、自身の状況を伝えて相談した。

 

真野氏との話し合いの末、現状はタイリーグの移籍期間が残されていないことを考慮したうえで、リーグ戦が中断する半年後の6月に開かれる移籍期間に再度狙いを定め、海外トライアルをもう一度仕切りなおして挑戦することを決めた。

 

日本に一度帰国し、万全の準備を整えた状態で再度タイに向かった小林選手は、2016年6月タイリーグのディビジョン2(3部相当)に所属するナコンパノムFCとの契約を果たした。

 

※引用:本人提供

 

 

「ようやく自分の夢を叶えることができて、契約した瞬間はとても嬉しかったです。リーグ戦途中からの加入で、このチームでプレーしたのは約3ヶ月間だけでしたが、自分にとっては貴重な時間となりました。一度タイに来ていたこともあり、現地の環境にはすぐに解けこめたと思います。プレーに関しても同様で、一度現地でサッカーをしていたことがプラスになりました。1月に来たときは契約できませんでしたが、その経験がのちに大きく役に立ちました。」

 

※引用:ナコンパノムFC 公式Facebookページ

 

 

タイリーグで念願のプロサッカー選手となった小林選手。チームはタイの田舎の町に拠点を置くチームだったが、現地では人の暖かさに触れ、チームメートやスタッフの人たちとも良好な関係を築いていた。プレーした期間は短かったが、本人にとっては大きな一歩を踏み出したシーズンとなった。

 

 

外国人選手としての意味と責任

 

翌年の2017年シーズンもタイリーグでプレーすることを決意した小林選手は、同リーグのT3(3部相当)に所属するスラータニーFCに移籍。昨年の経験を活かして、海外2年目のシーズンも躍動するはずだったが、チームとの契約後から茨の道が待っていた。

 

試合に出場できる外国人選手の人数が4人に対して、チームには5人の選手が所属していたスラータニーFC。シーズン開幕当初、チームの構想に小林選手は入っておらず、練習参加初日から「お前は要らない選手だ」とはっきり伝えられた。

 

「練習に行っても自分の名前がボードに書いておらず、紅白戦にも参加できない状況でした。チームからはレンタル移籍させると言われ続けていて、とても苦しい状況でしたが、自分は他のチームに行く当ても無くて…。同じチームメートの日本人選手と、カテゴリーが1つ下の兄弟チームに所属していた日本人選手の二人に励ましてもらいながら、なんとか頑張って自分のできることにフォーカスしていきました。当時、この二人に支えてもらっていなければ自分は逃げ出していたと思うので、本当に感謝しています。」

 

試合に出場できない日々が続く中、チームメートの外国人選手が怪我をしたことにより、ようやくチャンスを得た小林選手。苦しい状況の中でも準備し続けてきた結果、試合に出場するきっかけを掴み、そこから徐々にチームの一員として認められるようになった。

 

※引用:スラータニーFC 公式Facebookページ

 

 

小林選手が初めて海外に挑戦したときのように、チームとの契約を勝ち取ることのハードルも高いが、それ以上にチームと契約をしてからの部分が、海外挑戦の難しさでもある。

 

その当時の苦悩を振り返る小林選手は、「その経験が今に活きている」と語る。外国人選手としてプレーすることの意味や責任を、深く理解することとなったシーズンであった。

 

※引用:スラータニーFC 公式Facebookページ

 

 

可能性を賭けたカンボジア移籍

 

タイでの2シーズンを終えたタイミングで、自分の理想の姿を改めて描きなおした小林選手。目標とする場所は更に上の舞台。そこで、タイではない国にチャレンジすることを決意する。

 

「タイのことは大好きで、今でも戻りたいと思える場所です。ただ、サッカーで上を目指すと考えたときに、このままタイに残っていてもチャンスは薄いと感じていました。そこで、エージェントの真野さんを通じて話しをもらったのがカンボジアです。カンボジアの1部リーグからは国際大会にも繋がっていますし、タイの3部でプレーするよりもチャンスは大きいと考え、環境を変える選択をしました。」

 

大きなチャンスを求めて、カンボジアに向かった小林選手。しかし、カンボジア現地ではチームのトライアルから参加することとなる。

 

多くの外国人選手が自分の居場所を求めてトライアルに参加しており、契約争いは熾烈を極めた。さらには、トライアル期間中に監督が変更されて、選手選考にも大きく影響した。

 

「監督が変わってから、2~3週間ほど待ってくれと言われました。その期間に新監督が、トライアル中の試合のビデオなどをチェックしていたようで、そこで数名の外国人選手が選ばれて、自分は何とか選考に残ることができました。ただ、そこから更にトライアルは続き、正式な契約に至るまでには長い時間がかかりました。精神的にも肉体的にも難しい期間でしたが、自分の目標のために全力を尽くしました。

 

長い時間を要しながらも、新監督に認められた小林選手は、2018年シーズン・カンボジア1部リーグのスバイリエンFCとの契約を果たす。加入1年目から中心選手として試合に出場し、新天地でのプロ生活が始まった。

 

※引用:スバイリエンFC 公式Facebookページ

 

 

「タイリーグ時代とは違い、国のトップリーグなのでチームメートや対戦相手にカンボジアの代表選手がいますし、リーグ優勝すればAFCカップにも繋がっています。その分、責任やプレッシャーなども大きくなりますが、それを含めてやりがいがあります。環境が変わったことで違う可能性が見えてきて、自分にとってはカンボジアに来れて本当に良かったと思います。」

 

 

「嬉しさ」と「悔しさ」を味わった優勝

 

加入1年目の活躍が認められ、2019年シーズンもスバイリエンFCとの契約を更新した小林選手。カンボジアでの2年目は、本人にとって大きな飛躍と悔しさの両面を味わったシーズンとなった。

 

リーグ序盤から勝利を重ねたスバイリエンFCは、リーグ優勝を果たす。小林選手も中心選手として活躍したが、シーズン中は怪我をする回数が多く、負傷の影響によりピッチの外から試合を見なければならない時間も多かった。

 

「チームはリーグ優勝を果たし、そのことはとても嬉しかったです。自分にとってはサッカー人生初の大きなタイトルですし、たとえカンボジアという小さな国だとしても、国のチャンピオンになれたことは本当に光栄なことだと思います。ただ、個人的には怪我が多いシーズンで、プレーで勝利に貢献できない時間もありました。そういう意味では、悔しさもあったシーズンです。」

 

※引用:スバイリエンFC 公式Facebookページ

 

 

「嬉しさ」と「悔しさ」を味わったリーグ優勝だが、チームは2020年開催のAFCカップ・プレーオフ出場権を得る。小林選手は翌2020年シーズンも同チームと契約を更新し、国際大会の舞台にたどり着くこととなった。

 

 

国際大会での飛躍

 

迎えた2020年1月、ラオスリーグの代表として勝ち上がってきたマスター7FCとのAFCカップ・プレーオフに出場したスバイリエンFC。ホーム&アウェイ方式での試合が開催され、2戦合計スコア7-1で勝利を収めたスバイリエンFCは、AFCカップ本戦出場の切符を手に入れた。小林選手も同試合に出場し、チームの勝利に大きく貢献。初の国際大会の舞台でも大きく躍動した。

 

続く2020年2月より、AFCカップ本戦がスタート。グループリーグ初戦のフィリピン代表、セレス・ネグロスFC戦には0-4と敗戦してしまうが、第2戦のインドネシア代表、バリ・ユナイテッド戦は2-1勝利を収める。第3戦のベトナム代表、タン・クアンニンFC 戦は1-4の敗戦。残念ながら、現在は新型コロナウイルスの影響によりAFCカップのグループリーグはストップしている状況だ。

 

※引用:Cam-Sports Facebookページ(AFCカップの舞台で戦う小林選手)

 

 

初の国際大会の舞台に立った小林選手は、現在の心境を素直に語ってくれた。

 

「本当に良い経験をさせてもらっていると思います。そして、いまの状況は、ある意味”不思議”な感覚です。数年前までは、日本の地域リーグでプレーしており、サッカーではなく仕事が生活の中心でした。それが今では、海外遠征をして試合を行い、サッカーをプレーすることで生きている。勇気を出して海外に環境を移したことが、一番大きかったと思います。そして、多くの方々が協力してくれたおかげで、今の自分が存在しています。」

 

周りの人たちへの感謝の気持ちを語る小林選手。その「素直な心」を持ち合わせていることが、小林選手の武器であると言えるだろう。

 

※引用:Cam-Sports Facebookページ

 

 

素直に生きる

 

自身の今後の目標や展望について質問すると、以下のように話してくれた小林選手。

 

「まだまだ選手として上を目指していきたいです。カンボジアよりも更に上のカテゴリーに値する国のリーグにチャレンジしたいですし、いま所属しているスバイリエンFCでもさらに上を目指したいです。自分を必要としてくれるチームであれば、場所は問わないです。以前のように”日本でなければならない”という考えは、海外に出てから完全に変わりました。そのように、物事を大きな視点で捉えられるようになったことも、選手としてだけではなく、人間として成長できている証かなと思います。自分自身でも、今後どのような未来が待っているのか楽しみです。」

 

※引用:スバイリエンFC 公式Facebookページ

 

 

日本ではプロサッカー選手になれず、地域リーグでサッカーを続ける選択をした小林選手。しかし、そこで気付いた「自分の素直な気持ち」に従い、可能性に賭けて挑んだタイでのトライアル。ようやく勝ち取った夢の舞台は、思っていた以上に茨の道で、苦しい時間も多く過ごしてきた。

 

それでも投げ出すことなく、サッカーをプレーし続けた小林選手の元に待っていたのは、国際大会の舞台。その舞台に立てることに感謝しながらプレーする姿には、頼もしさが感じられる。

 

自分自身の素直な気持ちに従って、これからもサッカー人生を楽しんでいくことだろう。カンボジアから世界に羽ばたく小林大介選手の活躍から目が離せない。

 

※引用:本人提供

 

 

■プロフィール

小林 大介(コバヤシ ダイスケ)

1992年10月23日生まれ 新潟県出身

ポジション:MF

 

●ユース経歴

上越FCジュニア
OFCファンタジスタ
新潟工業高校
北陸大学

 

●社会人経歴

2015 アルティスタ東御(北信越リーグ)

 

●プロ経歴

2016 ナコンパノムFC(タイ)
2017 スラータニーFC(タイ)
2018– 2020 スバイリエンFC(カンボジア)

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