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【モルディブからの逆襲】岡元俊樹「アジアから日本へ凱旋帰国を狙う男」

選手物語
2020年9月21日

「目標は日本のチームとACLで対戦するために、アジアのチームの一員として凱旋帰国すること」

 

力強い口調で大きな野望を語ってくれたのは、2019-2020シーズンに南アジアのインド洋に浮かぶ島国・モルディブでプレーした【岡元俊樹】選手。

 

コロナ禍の中でも虎視眈々と自身の目標達成にピントを合わせて準備し続けるストライカーは、元々DFのポジションが主戦場の選手だ。

 

ヨーロッパからアジアに渡り、ポジションを変えてまでも貪欲にサッカーに向き合う岡元選手。彼を突き動かす原動力は一体何なのか。

 

岡元選手のサッカー人生を振り返り、その答えを探る。

 

※引用:クラブ・イーグルス 公式Facebook

 

 

「プロ」を意識していた少年時代

 

奈良県出身の岡元選手は、地元の生駒市でキャリアをスタート。小学生時代に所属したパルティーダ生駒で、サッカーの魅力に惹きつけられた。

 

その情熱は日を追うごとに増していき、中学生のときに所属した生駒SC時代に、「プロサッカー選手」になることを本格的に意識し始める。

 

その目標を達成すべく、高校への進学もサッカーを基準に選定。実父の繋がりから、京都府の強豪校である久御山高校進学の話しが持ち上がり、地元を離れて入学することを決める。

 

サッカーに魅せられた岡元選手は、「プロ」としてサッカーの道で生きていくことを、少年時代から既に決意していた。

 

 

ブラジル留学と高校サッカー

 

「お前、ちょっと海外行ってこい」

 

当時高校1年生だった岡元選手は、進学した久御山高校の監督から突然「ブラジル留学」を打診された。

 

詳細を確認すると、監督の繋がりからブラジルの強豪クラブチームである「クルゼイロEC」の下部組織に短期留学が可能ということだった。岡元選手は夏休みの期間を利用して、単身ブラジルへ渡る。

 

「チームに合流して最初に驚いたことは、ボールが全然出てこなかったことです。自分でボールを奪いに行かないと、まずはボールに触ることすらできない。現地では自分が外国人であることなどを含めて、様々な要因はあったと思うのですが、このような経験は始めてで衝撃を受けました。」

 

サッカーの本場であるブラジルで貴重な経験をした岡元選手は、当初の予定通り約1ヶ月後に日本へ帰国。

 

その後、2年生からトップチームのレギュラーとしてプレーする。全国高校サッカー選手権大会への出場も果たし、3年目もチームの中心選手として活躍した。

 

しかし、元々ストライカーとしてプレーしてきた岡元選手に与えられたポジションはセンターバック。攻撃をしたい気持ちを抱えながらも、守備面でチームに貢献した。

 

最終学年で迎えた選手権は、残念ながら全国への切符を掴むことができなかったが、岡元選手の努力はプロサッカー選手になるための道へと繋がっていた、はずだった…。

 

 

プロ契約が見えかけた矢先の挫折

 

プロサッカー選手になることを目標にプレーしてきた岡元選手は、当時J2に所属していたザスパ草津のU-23チームに加入するテストを受けた。

 

そこでのプレーが評価されて、高校卒業後は同チームへ加入を果たすのだが、ここで大きな壁が立ちはだかることとなった。

 

「チームに加入する当初は、トップチームに上がることが前提で話しが進んでいきました。ただ、その当時の自分の実力ではまだトップでプレーするには力が足りないということもあり、U-23で経験を積むというチームの方針で、同チームでプレーすることとなりました。ですが、仕事をしながらプレーするという環境が当時の自分にとってはあまりにも厳しい環境で、結果的には半年でチームを去ることになってしまいました。当時はとてもきつかったのが、正直な気持ちです。」

 

チームのスポンサー企業で朝7時から仕事がスタートし、昼の12時からトレーニング。その後は夕方から再度仕事をこなすという大変厳しい環境。当時18歳だった岡元選手にとっては、その環境に耐えられる力が無かったと、本人は当時のことを回想する。

 

寝坊や居眠りが重なり、勤めていた企業、そしてチームからも「クビ」を宣告されてしまう。岡元選手の目の前には、残酷な現実だけが取り残されていた。

 

 

中途半端な生活からの脱却

 

ザスパ草津U-23を約半年で退団した岡元選手は奈良に戻り、地元の先輩の繋がりから、当時関西社会人リーグに所属していた奈良クラブに加入した。

 

在籍時にチームは天皇杯本戦に出場し、Jリーグ・アルビレックス新潟との試合に出場するなどの経験もしたが、シーズンを通じて中心選手として活躍できたわけではなく、ベンチを暖める時間が多かった。

 

※引用:奈良クラブサポーターズサイト NaLa12(奈良クラブ時代)

 

 

ザスパ草津U-23を実質クビになり、地元の奈良クラブに加入するも試合に出れず、真面目にサッカーと向き合えない日々を過ごしているなか、実父の勧めで大学への進学を打診された。

 

「いま振り返ると、当時の自分は本当にだらしない生活を送っていました。その姿を見かねた父が、大学への進学を勧めてくれて、もし大学へ行くのであれば、もう一度真剣にサッカーと向き合おうと考えました。そのような経緯から大学へ行くことを決断し、大阪学院大学へ入学すると同時に、体育会のサッカー部にも入部しました。」

 

サッカーに限らず、全てのことが中途半端な状態だった岡元選手は、大学へ進学することと同時に、もう一度自分の目標であるプロサッカー選手への挑戦を決意した。

 

 

決意を新たにした大学時代

 

プロサッカー選手を再度目指して、決意を新たに入学した大阪学院大学。入学2年目からトップチームで試合に出場するようになり、関西1部リーグを戦うチームの中心選手として活躍した。

 

また、大学時代にポジションがセンターバックから左サイドバックに変わる。このコンバートが、岡元選手にプレー面でも精神面でも良い影響を与えた。

 

「もう一度プロサッカー選手になることを決意し、大学に入学しました。この期間で一番成長したのはメンタル面です。真剣にサッカーと向き合う環境を与えてくれた大学には感謝しています。また、ポジションがサイドバックに変わり、自分の中で”しっくりきた”感覚を掴みました。元々FWでプレーしていたこともあり、攻撃したい気持ちを心のどこかに抱えたまま、DFとしてプレーしていましたが、サイドバックになったことで、攻守両面でのプレーに関わることが要求されるようになり、自分の特徴を最大限発揮できるようになりました。」

 

※引用:ゲキサカ(大阪学院大学時代)

 

 

大きな目標に向けて、再び輝きだした岡元選手。大学卒業時には、J3の数チームから契約が打診されており、各チームの練習にも参加していた。

 

しかし、岡元選手が決断した行き先は「海外」だった。

 

 

サッカーの本場・スペインへ

 

実妹の繋がりからスペイン現地に精通しているエージェントと出会い、大学卒業後に現地へ向かった。カタルーニャ州リーグ(実質スペイン5部)のチームへ練習参加を果たし、岡元選手のプレーが評価されて契約をするところまで話しが進んだ。

 

チームとの契約をするためには、日本に戻ってビザ関係の手続きを行う必要があり、岡元選手は一旦日本へ帰国。ビザの準備を整えたところで、正式な契約を結ぶために再度スペインへ向かったが、ここで大きな問題にぶつかることとなった。

 

「ビザ関係の手続きをクリアにしたところで、再度スペインに向かいました。しかし、自分が居ない期間にプレシーズンが始まり、現地に到着したときにチームから”お前は要らない”と言われてしまいました。そこで他のチームにコンタクトを取って、なんとかスペイン6部のチームに練習参加することができ、ようやくプレーできる場所を手に入れることができました。」

 

様々な困難を経て、2015-2016年シーズンにCD・フォンサンタファッジョとの契約を果たす。当時の契約内容はプロと呼べる待遇ではなかったが、海外でのキャリアをスペインでスタートさせることとなった。

 

※引用:本人提供(下段・向かって右が岡元選手)

 

 

スペイン6部と言えど、サッカーのレベルは高かったと当時を回想する。

 

「フィジカル面では自分も勝っていたと思います。ただ、サッカーIQの部分に関しては、とてもレベルが高かったです。全員がサッカーの本質を理解していて、ピッチの上で今何をすれば良いか分かっています。相手のレベルなどによって臨機応変にプレーを変えることもできますし、それを発揮する技術も備えていて、スペインサッカーのレベルの高さを実感しました。また、練習と試合でのインテンシティの違いにも衝撃を受けました。現地の選手たちは、練習と試合では全くの別物です。練習では平凡だと思っていた選手も、試合ではとんでもない力を発揮します。力を発揮するべきときに、120%発揮できる感覚は、日本では体験したことのないものでした。」

 

スペインでの初シーズンを終えた岡元選手は、翌2016-2017年シーズンにスペイン5部のCF・スブレンセへ移籍。カテゴリーを1つ上げて、左サイドバックとしてスタメンにも定着。チームは勝てない状況が続いて降格してしまったが、1シーズンを通じて試合に出場し続けたことで、大きな自信を掴んでいた。

 

その経験を元に、2017-2018年シーズンに同5部リーグのフンダシオン・エスポルティーバ・グラマに移籍。待遇も大きく上がり、チームの中心選手として活躍を果たす。

 

「スペインで3チーム目となったフンダシオン・エスポルティーバ・グラマでは、チーム加入当初はレギュラーとして考えられていませんでした。特にオファーが来たわけではなく、自ら練習参加を申し出て契約までたどり着いたのが、このときのチームです。しかし、プレシーズンからアピールし続けて、第2節からスタメンとなり、最終的にチームは昇格を果たすことができました。たとえどんなカテゴリーであろうと、海外のチームで外国人選手として、監督やスタッフから評価されて、同時に結果も出すことは容易ではないと思います。それを達成できたことで、大きな手応えを掴むことができました。」

 

※引用:本人提供(昇格を喜ぶ岡元選手)

 

 

個人、チームともに結果を残すことができ、大きな充実感を得てサッカーをプレーすることができたスペインでの3年目。残念ながら様々な問題が重なり、契約更新とはならなかったが、岡元選手には複数チームからオファーが届く。

 

その中から、一番待遇の良かった同5部リーグのUE・トナへ移籍。2018-2019年シーズンもスペインで戦うはずだったが、ビザの問題でスペインに滞在できないトラブルに見舞われてしまう。

 

※引用:本人提供(UE・トナ時代)

 

 

そこで岡元選手が取った行動は、他国への挑戦だった。

 

 

タイへの挑戦

 

2019年1月、岡元選手は片道の航空券を片手に東南アジアのタイへ向かう。当初は現地のエージェントやチームとの繋がりがあるわけではなく、首都バンコクに単身で乗り込み、現地の情報を自ら調べてタイリーグのチームのトライアルに参加していた。

 

バンコクを拠点に活動している最中、アジアの国々を中心にエージェント業を手掛けている真野浩一氏(GOAL Sports Agency 代表)とタイ現地で出会い、自身の状況を伝えた。

 

その結果、真野氏のアテンドによってタイリーグ3部のノースバンコク大学FCのトライアルに参加して契約を勝ち取ったが、契約に至るまでにはポジションを変更する必要があった。

 

「タイリーグをはじめ東南アジアでは、サイドバックのポジションに外国人選手の需要が無いのが現実でした。サイドバックにこだわり続けていては、タイでは契約することができないので、FWやウイングとしてプレーすることになりました。正直、今でも自分が一番パワーを発揮できるポジションはサイドバックだと思っています。しかし、サッカーでお金を稼いで生活できるのであれば、ポジションにこだわり続けることよりも、どんなポジションでも構わないのでチームと契約して、プレーすることの方が優先順位が高いと判断しました。」

 

トライアル中はセンターバックやボランチでのプレーも模索したが、ストライカーとしてプレーすることを選択。

 

※引用:本人提供(ノースバンコク大学FCと契約した際の岡元選手)

 

 

しかし、スペインとタイのサッカーの違いに苦戦することとなった。

 

「正直、スペインとタイのサッカーのレベルはかなり大きな差を感じました。練習内容1つ取っても、”これは何のための練習なんだ?”と感じてしまうことも多々あり、それが自分でも知らずのうちに表情や態度に表れていたと思います。そうなると、なかなか思うような結果を残すことができず、更には怪我をしてしまったことも重なり、半シーズンでチームをクビとなりました。外国人選手に対して求められるものがスペインと全く異なっていて、それをタイに来て経験できたことに関しては、自分にとってプラスだった思います。」

 

初めて挑戦した東南アジアのリーグで、岡元選手は外国人選手としてアジアでプレーする難しさを知ると同時に、より「結果」にフォーカスすることの重要性を学び、その後の活躍に活かすこととなる。

 

 

モルディブリーグへ移籍

 

2019年6月に一時帰国し、まずは怪我の治療を行った。そして、コンディションが整ったタイミングでモルディブ1部リーグのチームから、エージェントの真野氏を通じてオファーが届く。

 

2019年9月、モルディブ現地に向かった岡元選手はニランドゥーSCと契約。チームに加入した際は、既にリーグ戦が開幕しており、ニランドゥーSCは勝ち星を逃して下位に低迷している状況だった。

 

※引用:ニランドゥーSC 公式Facebook

 

 

しかし、岡元選手はFWやトップ下のポジションでゴールやアシストを量産。出場した試合数はわずか8試合ながら、6ゴール・7アシストと個人として結果を残した。

 

「モルディブリーグはチーム数が少ないので、リーグ戦は3ラウンドを行うレギュレーションです。自分がニランドゥーSCに加入したのは1stラウンドの最終節からで、その後プレーした2ndラウンドを含めて、ゴールという目に見える数字で結果を残すことができました。すると、3rdラウンドがスタートする直前にモルディブでは移籍期間が設けられているのですが、その期間に国内の4チームからオファーが届きました。」

 

タイリーグ時代には残すことができなかった「結果」で、自分の価値を証明した岡元選手。モルディブ国内での評価は一気に上昇し、各チームからオファーが殺到することとなった。

 

その中でも、一番待遇面で優れていたクラブ・イーグルスへの移籍を決意。当時、同チームはリーグ2位に順位しており、優勝も目指せる位置につけていた。

 

モルディブリーグでは、リーグ優勝チームにはAFCカップ(※1)本大会への出場権が与えられ、2位のチームにはAFCカップのプレーオフ出場権が与えられる。

 

移籍したクラブ・イーグルスでも、チームの中心選手として活躍し続けた岡元選手。最終的にチームはリーグ戦2位となり、2021年シーズンのAFCカップ・プレーオフ出場権を獲得した。

 

(※1:アジアサッカー連盟が主催する、クラブチームによるサッカーの国際大会である「AFCカップ」。この大会は、欧州で言うところのUEFAヨーロッパリーグ、旧UEFAカップに当たる大会である。)

 

※引用:本人提供(マンオブザマッチに選出された際の岡元選手)

 

 

凱旋帰国を実現させる

 

新型コロナウイルス感染流行の影響により、来季の契約については不透明な状況だが、クラブ・イーグルスの首脳陣から高評価を得ている岡元選手は、来季もチームの構想に入っているとういう。

 

現在は日本に帰国し、今後のチャンスに備えてトレーニングを重ねている岡元選手に、今後の展望について話しを伺った。

 

「コロナウイルスの状況にもよりますが、モルディブに戻ってAFCカップの舞台に立ちたいです。また、更に結果を残して近隣国のインドやバングラディシュなどにステップアップすることも視野に入れています。」

 

※引用:クラブ・イーグルス 公式Facebook

 

 

そして、その先には更に大きな目標を掲げている。

 

「自分の目標は、アジアの国のチームに所属して、日本のチームと対戦することです。ACLなどの大会を通じて、日本に凱旋帰国して、日本のピッチで試合をすることを目指しています。そのルートは、先に名前を挙げた南アジアからなのかもしれませんし、または違う国からかもしれません。今後も結果を残し続けていけば、運とタイミングが重なったときに可能性が見えてくると思っています。」

 

力強い口調で自身の目標を語る岡元選手は、本気で日本のピッチに立つことを目指している。その目標を達成するためにも、重要なことは「結果」を残すこと。

 

結果に対して貪欲にフォーカスし続ける姿勢やメンタリティーは、プロサッカー選手として生きるためにとても大切な要素に違いない。

 

かつて、日本では夢を叶えられなかった「プロサッカー選手」として、日本に凱旋帰国する日が来ることが待ち遠しい。

 

岡元俊樹選手が日本のスタジアムで結果を残す姿を、早く見たいと願うばかりだ。

 

※引用:ニランドゥーSC 公式Facebook

 

 

■プロフィール

岡元 俊樹(オカモト トシキ)

1990年5月11日生まれ 奈良県出身

ポジション:DF・FW

 

●ユース経歴

パルティーダ生駒
生駒SC
京都府立久御山高校

 

●社会人経歴

2009 ザスパ草津U-23
2009–2010 奈良クラブ
2011– 2014 大阪学院大学

 

●海外経歴

2015–2016 CD・フォンサンタファッジョ(スペイン)
2016–2017 CF・スブレンセ(スペイン)
2017–2018 フォンダシオン・エスポルティーバ・グラマ(スペイン)
2018 UE・トナ(スペイン)
2019 ノースバンコク大学FC(タイ)
2019 ニランドゥーSC(モルディブ)
2019–2020 クラブ・イーグルス(モルディブ)

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