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元日本代表・本田圭佑さんがオーナーを務めているカンボジア1部リーグのクラブ、ソルティーロ・アンコールFC。このクラブで「選手兼監督」として活躍している一人の日本人がいる。
【藤原 賢土】選手兼監督。
藤枝明誠高校に所属していた2009年には、現在日本代表として活躍する柴崎岳選手や宇佐美貴史選手らと共に、U-17日本代表としてプレーしていたディフェンダーである。
異国の地で「選手」と「監督」の二束の草鞋を履く藤原は、どのような経緯を経て、現在のポジションにたどり着いたのか。彼のサッカー人生を振り返ると、自ずと理由が見えてくる。
神奈川県出身の藤原は、地元である横浜のサッカークラブ「コミュニティFC」でキャリアをスタート。子供の頃からプロサッカー選手になることが夢だった。中学時代も同チームでプレーしたのち、当時の指導者の繋がりから静岡県のサッカー強豪校である藤枝明誠高校に進学。プロサッカー選手になるために、地元を離れてプレーすることを決断した。
藤原にとって大きなチャンスが訪れたのは高校時代。早生まれであることも影響し、1学年下にあたる世代の日本代表に選出された。また、3年生で迎えた最後の全国高校サッカー選手権大会では、激戦区の静岡県を制して全国大会に出場し、チームは大会をベスト8まで勝ち上がる。
この活躍を受けて、Jリーグの数チームから興味を持たれるも、最終的には正式な契約に至らなかった。夢であるプロサッカー選手への切符が手の届きそうなところに見えていたが、現実は厳しい世界だということを痛烈に感じた高校時代だった。
高校卒業時点でのJリーグ入りは叶わなかったが、藤原は関西地域の強豪である関西大学へ進学を決める。入学当初から活躍を期待され、1年生からトップチームの試合に出場していた。
藤原自身も、「高卒でJ入りできなかった悔しさもあり、大学経由で必ずJリーグでプレーしよう、そう意気込んで大学に進学しました。」と語る。
しかし、大学1年生のときに怪我をしたことがきっかけでスタメンから外れてしまい、怪我からの復帰後も試合に絡めない機会が増えた。2年、3年と学年が進んでも「試合に出たり出なかったりする選手」という立ち位置から脱却することができず、最終学年となった4年目ではスタメンで出場する試合もありながら、最終的にはトップチームから外されてしまった。
「当時の自分はメンタルが弱かったです。様々なプレッシャーに負けてしまい、選手として精神的な部分が足りなかったと思います。Jリーガーになるような日本のトップの選手達であれば、どんな状況であろうともピッチの上で結果を残すことができるでしょうし、実際に同年代で今も活躍している選手達は結果を残してきました。大学時代の自分には、それができなかったです。」
このような状況で大学卒業を間近に控えた藤原。プロサッカー選手を目指してきた本人の元に、Jリーグのチームからオファーが届くことはなく、そのまま新年を迎えた。
しかし、2014年1月にとある連絡が届き、藤原の運命が大きく変わることとなる。
「今でも日付をしっかり覚えています。2014年1月23日に、”アルビレックス新潟シンガポール”からオファーを受けました。回答期限が翌日の1月24日までで、現地に渡航したのは1月27日。この期間で一気に状況が変わりました。それまでは、正直”海外”という選択は自分の頭の中に全く無かったですし、1年プレーしたあとに再度Jリーグにチャレンジしたいと思っていました。しかし、現地に行ってみると、その心境は大きく変わりました。」
2014年シーズンに向けて、センターバックの選手を探していた「アルビレックス新潟シンガポール」。同チームは、Jリーグのアルビレックス新潟のグループとして、シンガポールリーグに2004年から参戦し、日本人選手のみでチームを編成しているチーム(2020年現在は、同リーグのレギュレーション変更により、シンガポール人選手も所属している)。
チームメートは全員日本人選手だが、戦う場所は海外という特殊な環境で、藤原はプロサッカー選手としてのスタートをする決断を下し、シンガポールへ旅立った。
チーム加入当初から守備の要として活躍し、2015年シーズンにはカップ戦を制覇。続く2016年シーズンはリーグ優勝を含む、国内全4タイトルを全て制覇。4冠達成の中心選手として活躍を果たす。
「シンガポール時代は監督やチームメートに恵まれ、タイトルも獲得することができ、とても充実した時間を過ごすことができました。勇気を持って一歩踏み出せたので、本当に良かったと思っています。そして、アルビレックス新潟シンガポールは日本人選手たちで構成されたチームだったので、違う国や環境に身を置いて、”外国人選手”としてプレーしたいという新たな目標も生まれました。当初はJリーグに再チャレンジすることを考えいましたが、”人間としての成長”という視点で考えてみると、このまま海外にチャレンジし続けるサッカー人生も魅力的ではないかと、今では思っています。」
新たな可能性を見出した藤原は、2016年シーズンを最後にアルビレックス新潟シンガポールを退団。そして、次なる挑戦をのためにシンガポールを飛び出した。
2017年、新天地を求めてラオスに向かった藤原だが、現地では契約することができなかった。そのタイミングと時を同じくして、エージェントの真野浩一氏(GOAL Sports Agency 代表)を通じて、カンボジアの強豪クラブからオファーが届く。求めていた環境と合致したこともあり、すぐに現地へ向かった藤原は「ナガワールドFC」との契約を果たした。
チームに加入した当初は、シンガポールとカンボジアの全体的なサッカーレベルの差を感じていたと、正直に話す藤原。しかし、「外国人選手」としてプレーすることの責任や難しさも痛感した。逆に言うと、それが藤原自身が求めていた環境であり、充実感や大きな刺激も感じていた。
さらに、「自分の評価を下すのは現地カンボジアの人たちであり、その人たちに認められることが重要である」ということを意識し、真摯にサッカーと向き合った。決して楽しいことばかりではない海外での生活だが、日本人が周りに居ない環境の中でも、藤原は「サッカーで生きていること」を実感していた。
「シーズン開幕前にマレーシアへの海外遠征があり、多くの観客が集まるスタジアムで現地クラブと試合をする機会がありました。その試合を通じて、チームメートが自分の存在を認めてくれるようなプレーをすることができ、さらには自分もカンボジア人選手たちに対して心を開くことができました。自分にとっては、1つの大きなターニングポイントになった瞬間でした。」
プレシーズンの時期から良い感触を掴んでいた藤原は、シーズン開幕からナガワールドFCの中心選手として活躍。チームの結果が出なかった前期リーグ終了時には、「外国人選手の契約が切られる」との噂が出回ったりもしたが、他の外国人選手たちと一致団結し、結果を残して噂をねじ伏せた。
最終的にナガワールドFCはリーグ3位となり、失点数はリーグ最小を記録。「外国人センターバック」としての役割を果たし、新たに挑戦したカンボジアサッカー界に大きなインパクトを残したシーズンとなった。
2018年シーズン、更なるステップアップを求めて他国への移籍を検討していた藤原の元に、カンボジア国内の「ソルティーロ・アンコールFC」からオファーが届く。
当時、ソルティーロ・アンコールFCは2部から1部に昇格を決めたチームで、クラブとして初のトップリーグを戦うシーズンであった。オーナーが本田圭佑さんということも大きく影響し、外国人枠は日本人選手が中心の構成で、監督も日本人という環境だった。
元々は、日本人が居ない環境を求めてシンガポールから挑戦の場を移したこともあり、ソルティーロ・アンコールFCからのオファーに対して回答を迷っていた。しかし、クラブとして新たな船出のタイミングで、チームのコンセプトやビジョンに共感を覚えたという。そして、何よりも藤原賢土という選手を必要としてくれたチームである。その挑戦自体にワクワクする感情を覚え、カンボジア国内での移籍を決意した。
同じカンボジア国内でも、ナガワールドFC時代とは異なる環境。2部から上がってきたばかりのチームで、上手く結果が出ない時期もあったが、ディフェンスリーダーとして活躍した藤原。移籍初年のシーズンは、最終的に1部リーグ残留を果たすこととなった。
ソルティーロ・アンコールFCに加入した2018年シーズンの途中、「選手」としてプレーていた藤原の元に、GMを通じて「選手兼監督」の話が持ちかけられた。チームのオーナーである本田圭佑さんが、カンボジア代表の監督に就任して「選手兼監督」として活動していたことも大きく影響しており、カンボジア人選手たちからの信頼も厚い藤原が候補として上がった。
「この話を聞いた当初は物凄く迷いました。サッカー選手としてのキャリアを考えると、監督をすることがマイナスに作用してしまうのではないかとも思ったこともありました。逆に、指導する立場に元々興味があったのも事実で、即決することができなかったです。そこで、自分が信頼を置いている方々に素直な想いをぶつけて、相談させていただきました。その際、”そんなチャンス二度と無いから絶対やったほうが良い”という言葉を掛けてもらい、自分の中でも選手と監督を兼任する方向に舵を切りました。」
多くの迷いがありながらも、信頼している人たちに相談し、何度も何度も考え抜いた末に、自分の生きる道を決断した藤原。約1ヶ月の時間を要して出した結論に、今は自信と誇りを持って向き合っている。
2019年シーズンより正式に選手兼監督として就任し、13チーム中8位という成績を残す。就任2年目となる2020年シーズン現在も、選手と監督を兼任してカンボジアリーグを戦っている最中だ。
プロの世界、しかも異国の地、「選手兼監督」として活動する希少な存在。その活動を支えるために、藤原は様々な工夫や努力を重ねている。
「選手に対するコミュニケーション1つを取っても、細かいところまで考えるようになりました。その選手に対して怒るのか、褒めるのか、それともあえて違う人を介して伝えるのかなど、その選手にとって何が1番ベストで、チームにとって何が1番ベストなのか、それを常に考えるよう工夫しています。選手一人一人と真剣に向き合うこと、良い人間関係を築くことがとても大切ではないでしょうか。また、自分が一人の監督として選手と接する部分と、一人の選手として接する部分、両面が必要だと思っています。厳しいだけではダメですし、緩いままでもダメ。何事においても全体のバランスを見るように心掛けています。」
それだけではない。自身がピッチに立つときの苦悩も語ってくれた。
「自分が試合に出ていないときは、ピッチの外から冷静にチームの状況を判断できるのですが、自分が選手としてピッチの中に入ると、どうしても感情が出てしまって冷静な判断ができなくなる部分もあります。そこに対しての難しさはありますが、それを言い訳にして自分のプレーを疎かにしたくはありませんし、選手兼監督という立場であるからこそ経験できることでもあると思います。人生という長いスパンで見たときに、この経験は絶対に今後の自分の為になるとも思っています。」
「選手」と「監督」、この役割を両立することは並大抵の努力では務まらない。選手としてプロの世界で生き残ることも、監督としてプロの世界で生き残ることも、決して容易ではないサッカーの世界。
その厳しい世界で生きる藤原の目の前には、様々な壁があったことだろう。しかし、どんな状況に陥ったとしても常に前を見据えて生きている。時には悩みながら、時には人に相談しながら、それでもプラスの部分を見つけて前に進んでいく姿勢は、サッカー界に生きる人たちだけに留まらず、ビジネスマンや学生の方にも是非参考にしてほしいと、筆者は感じさせられた。
ソルティーロ・アンコールFCの今後について、藤原はどのように考えているのか。尋ねてみると、チームへの熱い思いが溢れ出てきた。
「トップリーグに参戦している以上、最終的に目指す場所は優勝です。ここを目指さないと、プロのチームとしてサッカーをする意味が無いとも言えるでしょう。ただ、周りのチームと戦力的な部分を比べた時に、現時点ではまだ厳しいのが正直なところです。そこで今は、チームの戦術というよりも、個人の部分にフォーカスして練習に取り組んでいます。ボールを止める、蹴る、運ぶ…。基礎の部分を徹底的に底上げし、更にはサッカーの楽しさを選手たちが感じてくれるようにアプローチしています。まだまだ大きな結果を出すまでには至りませんが、真面目にトレーニングに取り組んできた選手が試合でゴールを決めたり、国内の強豪クラブから勝ち点を拾えるようになったりと、少しずつ成果は現れてきていると思います。」
また、サッカー選手としてだけではなく、選手たちの今後の人生も見据えている。
「サッカー選手として必要な自主性や、考えて行動に移す力を、選手たちにはサッカー以外の部分でも活かして欲しいと思っています。人生という括りで物事を考えたときに、サッカー選手としてプレーできる期間は限られています。だからこそ、サッカーを終えたときに社会から必要とされる人間であってほしいです。実際に社会から必要とされるような人間は、選手としても良い結果を残せていて、そこはリンクしていると僕は考えています。そのような選手が、ソルティーロから一人でも多く出てきて欲しいですし、自分自身もそれを実現していきたいです。」
藤原のチームに対する想いは、単なるサッカークラブの選手や監督という枠を超えて、カンボジアや日本をはじめとする国の社会や教育にまで視点が向けられている。このように、大きな規模でサッカーに携わることができる藤原だからこそ、選手と監督の両立が実現しているのだろう。
藤原個人としては、今後どのようなビジョンを描いているのか。
「1つは、選手として上を目指したい気持ちがあります。今の経験を活かして、カンボジアよりも更に上のカテゴリーに分類される国やリーグに挑戦してみたい気持ちがあるのが、素直な自分の想いです。もう1つは、ソルティーロ・アンコールFCと共に生きていくことです。今のチームに対してとても愛着があり、自分にとっては特別なチームなので、今後もソルティーロと共にサッカーを通じて色々なことに挑戦していきたいと思っています。」
どのような未来が藤原に待っているのか、本人も含めて誰にも分からない。事実、選手兼監督として異国の地で活躍する姿を、藤原本人も想像していなかっただろう。初めて日本を飛び出したときのように、勇気を持って知らない世界に足を踏み入れたとき、その人にだけ見える新たな可能性が待っている。それが人生の面白さであり、サッカーの面白さでもある。目の前の出来事に全力で取り組み、1つずつ乗り越えてきた藤原だからこそ、本人にだけ見える新たな可能性が存在している。
そんな藤原には、引退後に取り組みたいことがあると言う。
「今後自分が取り組みたいことの1つに、”教育”があります。カンボジアでは、まだまだ十分な教育環境が整備されていません。その結果、プロ選手となった大人でも、まだまだ教育が足りないという場面に出くわしてしまう事があります。それであれば、自分が子供たちに対してサッカーを通じた人間育成を行い、サッカー界のみならず、カンボジア全体の発展に繋げていくことができるのではないかと思っています。それは、サッカースクールという形かもしれませんし、サッカーだけに捉われる必要も無いかもしれません。どんな形であれ、教育というのは取り組みたいことの1つです。」
サッカーを通じて、サッカーの枠を通り越した、大きな影響力のある存在。それはまさに、ソルティーロ・アンコールFCのオーナーである本田圭佑さんのようでもある。これから藤原がどのような人生を歩むとしても、沢山の人たちに多大なる好影響を与えていくに違いない。それは、今までの藤原の生き様が物語っている。
現在は選手兼監督として活躍する藤原賢土。きっとこれから先の未来でも、形に捉われることなく活躍していくに違いない。藤原賢土の歩む今後の人生からも目が離せない。
■プロフィール
藤原賢土
1992年1月29日生まれ 神奈川県出身
ポジション:DF
■ユース経歴
コミュニティFC
藤枝明誠高等学校
関西大学
■プロ経歴
2014年 – 2016年 アルビレックス新潟シンガポール(シンガポール)
2017年 ナガワールドFC(カンボジア)
2018年 – 2020年 ソルティーロ・アンコールFC(カンボジア)
■監督経歴
2019年 – 2020年 ソルティーロ・アンコールFC(カンボジア)