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【インドネシアでの熱狂を胸に】松永祥兵「新たなる道への挑戦」

選手物語
2020年10月21日

近年、多くの日本人サッカー選手が欧州主要リーグで活躍していることで、「ホンダ」「カガワ」「ミナミノ」らをはじめとする多くのサッカー日本代表選手の名前は、世界中どこの国へ行っても通じる言葉となった。

 

しかし、1万3,466もの大小の島により構成される東南アジアの大国「インドネシア」にて、有名な日本人サッカー選手の一人に「ショウヘイ・マツナガ」という選手の名前が挙がる。

 

攻撃的MFやFWを主戦場とする日本人アタッカー、「松永祥兵」選手。

 

ドイツでキャリアをスタートさせた松永選手は、日本、そしてインドネシアと各国を渡り歩くプロサッカー選手として活躍し、2020年1月に海外でのプロ生活を終えた。

 

ドイツ時代にはブンデスリーガの名門であるシャルケ04に所属し、ドイツ代表のGKであるマヌエル・ノイアー選手や、クロアチア代表のMFであるイヴァン・ラキティッチ選手らと共にプレーした経験を持つ。

 

このような経歴を持つ松永選手が、なぜインドネシアという国で9シーズンもの長い期間プレーしてきたのか。そして、31歳という年齢でプロサッカー生活にピリオドを打った理由は何なのか。

 

松永選手のサッカー人生を振り返るとともに、今後の展望について話しを伺った。

 

※引用:本人提供(写真中央の背番号78番が松永選手)

 

 

◆「キング」に憧れてプロを目指した少年時代

静岡県三島市出身の松永選手は、テレビ画面越しにプレーを見た「キング・カズ」こと三浦知良選手に憧れて、「三島長伏サッカースポーツ少年団」にてサッカーを始めた。

 

当時からトップ下などの攻撃的なポジションでプレーし、地域の選抜に選出されるような選手であり、小学生時代は静岡県選抜の候補にも選出されていた。

 

その実力は高く評価され、中学校に進学する際はジュビロ磐田のアカデミーから声を掛けられていたが、松永選手は中高一貫の進学校でもある「加藤学園暁秀中学校」へ行くことを決断する。

 

「サッカー面はもちろんのこと、勉強にも力を入れていた学校で、サッカーと勉強を両立できる環境が暁秀には整っていました。その点を踏まえた上で、当時の監督から熱心に直接話しをしていただき、ジュビロではなく暁秀に行く決断を下しました。」

 

中学受験を経て、加藤学園暁秀中学校・高等学校への進学を果たした松永選手だが、入学当初は体が小さかったことも影響し、大きく目立つような活躍をすることはできなかった。

 

高校に進学してからも暁秀高校での最高成績は県内ベスト8。高校3年生時には、プロサッカー選手になるためにJリーグへの道を模索したが、チームの練習に参加することすら実現しなかった。

 

それでもプロサッカー選手への夢を諦めることができず、大学サッカー界の強豪である「国士舘大学」への進学を決意する。

※引用:ゲキサカ(加藤学園暁秀高校時代)

 

 

◆大学中退とドイツへの挑戦

 

全国屈指の強豪校である国士舘大学サッカー部には、毎年多くの有名選手が入部しており、松永選手の同学年には後に日本代表となる塩谷司選手(現所属:アル・アインFC)や、2019年ルヴァンカップの川崎フロンターレ初優勝に大きく貢献し、同大会の最優秀選手賞にも選出されたGKの新井章太選手(現所属:ジェフユナイテッド市原・千葉)などが在籍。また、同級生だけではなく上級生にもプロとなる選手が多く存在していた。

 

このような環境のなかでプレーしていた松永選手は、冷静に自分の立ち位置を見たときに、「今のままではプロサッカー選手になれない」ということを感じたという。

 

「全国屈指の強豪大学である国士舘大学ですら、卒業時にプロとなれる選手はその学年で2〜3人ほど。高校時代から目立つ結果を残せていなかった自分が、大学を卒業してプロになると思えなかったのが、当時の正直な心境です。また、ピッチ外での大学生活に色々とストレスを感じており、このままサッカーを辞めようかと悩んでいました。そのタイミングと同時に、ドイツのクラブが日本でセレクションを開催する情報を母親がたまたまインターネットで発見して教えてくれました。結果的に、このセレクショの情報が自分のサッカー人生の転機となりました。」

 

日本で開催されるセレクションに応募した松永選手。しかし、セレクションを開催する規定の人数に応募が達さなかったことで、日本でのセレクション開催は見送られることになった。

 

ただ、開催できないことと同時に「本気でセレクションを受けたい人はドイツにまで直接来てください」という内容のアナウンスも告知されていた。

 

ここで松永選手は大胆な決断を下す。

 

大学の春休み期間を利用してドイツに直接足を運び、当時ドイツ2部リーグに所属していた「アレマニア・アーヘン」への練習に帯同した。

 

そこでの活躍が認められ、同チームのセカンドチームに入団できるという話しになったが、契約内容はサッカーでの給料は0円というアマチュア契約。現地でサッカーを続けたい気持ちはあったが、現実的に難しいとの判断を下し、同チームへの入団を断念。

 

しかし、この当時の松永選手の活躍が、後にビッグクラブへの入団に繋がっていく。

 

 

◆シャルケ04との契約へ

「ドイツ1部のシャルケが興味を持っている」

 

「アレマニア・アーヘン」への練習参加をアテンドしてくれた方を通じて、ドイツ屈指の名門クラブ「シャルケ04」から練習参加のオファーを受けた。アレマニア・アーヘンへ練習参加した際の活躍が、シャルケ04の首脳陣にも届いていたのだ。

 

このビッグチャンスを掴むべく、もう一度ドイツへ向かった松永選手。

 

現地に到着後は、同チームのトップチームとセカンドチームを行き来しながらプレーし、トレーニングマッチなどでゴールやアシストを量産。その活躍が認められ、松永選手は2008年にシャルケ04との契約を果たした。

 

※引用:ゲキサカ(シャルケ04時代の様子)

 

「当時のシャルケには、ドイツ代表のノイアーやクロアチア代表のラキティッチらが所属していました。また、セカンドチームの選手たちも各国のアンダー世代の代表選手が多く在籍していました。そのような環境だったこともあり、シャルケと契約してプロサッカー選手としてのキャリアがスタートしましたが、自分の当時の心境は”まだまだここからやらなければ…”という想いの方が強く、プロサッカー選手となった嬉しさや余韻に浸るような余裕はなかったです。」

 

松永選手がシャルケ04に加入した当時、日本では無名の大学生がドイツのビッグクラブと契約を果たしたということで、メディアにも大きく取り上げられた。大学時代の同級生からも「どういうことだ!?」という連絡が松永選手のもとに届いたほどだった。

 

しかし、勇気を持って単身ドイツに渡り、自らの可能性に賭けてサッカーと向き合った松永選手だからこそ、シャルケ04との契約を実現することができたと言えるだろう。

 

世界トップクラスの選手たちが集う環境のなかで、日々のトレーニングや試合を行っていた経験は非常に興味深いものである。

 

「世界的に名が知れているようなトッププレーヤーたちは、キックの質から違いを感じました。ロングボールやフィードはパスを出す相手の足元にボールが伸びていく感覚です。また、シュートの質がとても高くて上手い印象です。それは、GKのレベルが高いことも影響していると思います。どこの国のリーグと比べても、ドイツのGKのレベルはとても高かったので、自分も練習から良いシュートを打たなければゴールが決められません。紅白戦では、味方同士でも喧嘩をするのは当たり前。フィジカルコンタクトも激しいですし、自分も練習から激しく戦わなければすぐに居場所を失ってしまいます。そのような環境が、高いレベルを生み出しているのだと思います。」

 

※引用:本人提供(トレーニング中の松永選手)

 

 

◆日本での挫折

 

1989年生まれの松永選手は、2012年に開催されたロンドン五輪世代の年齢に当たる。しかし、ロンドン五輪の日本代表候補に名前が挙がることはなかった。

 

「シャルケでのチームメートたちは各国のアンダー世代のカテゴリー別代表に選ばれていました。自分も同じチームでプレーしているはずのに、日本代表の候補にも名前が挙がらない…。おそらく、自分の存在が日本で知られていなからではないかと考えるようになり、ロンドン五輪に出場したいという想いから、日本でのプレーを検討するようになりました。」

 

当時、ドイツ現地でお世話になっていた小野伸二選手が、Jリーグの清水エスパルスに移籍したタイミングだったことも影響し、日本へ帰国することを選択した松永選手。

 

「当時はまだ年齢が若かったこともあり、移籍するチームが決まっていない状況にも関わらず日本に帰国しました。その後、Jリーグの数チームに練習参加をして、ようやくJ2の愛媛FCに加入が決まったのですが、同チームでは思うように活躍できませんでした。愛媛FCとは加入時に半シーズンのみプレーする契約内容で、結果を残すことができなかったので契約を更新することはできませんでした。当時を思い返すと、とても苦しい期間だったと思います。」

 

ロンドン五輪・Uー23日本代表への選出を目標に日本へ戻ってきた松永選手。しかし、愛媛FCではゴールどころか試合にすら出場できない日々。自分が思い描いていた理想からは、大きくかけ離れた現実が待っていた。

 

※引用:本人提供(愛媛FC時代)

 

 

愛媛FCとの契約が終了し、翌シーズンに向けて日本国内でプレーするチームを探していた松永選手。しかし、結果を残すことができなかった松永選手のもとに具体的なオファーは届かない。チーム探しは難航し、ヨーロッパへ戻る選択も検討していたが、このタイミングで運命の国となるリーグのチームからオファーが届くことになる。

 

 

◆新天地での苦悩と飛躍

翌年のチームを探していた松永選手のもとに、インドネシアリーグ1部リーグのチームからオファーが届く。

 

「エージェント通じて、インドネシアで日本人選手を探していると連絡を受けたのですが、契約するためには3日後に現地へ来るようにと言われました。日本国内での移籍や、ヨーロッパへの復帰も考えていたのですが、これも何かの縁だと思ってインドネシア現地に向かうことをすぐに決めました。」

 

インドネシアのジャワ島西部にある大都市のバンドンを本拠地とする「プルシブ・バンドン」との契約を果たした松永選手。

 

結果的に、初めてインドネシアリーグに挑戦した2011年から9シーズンもの長い年月を同国で過ごすこととなるが、加入1年目はサッカー以外の部分で多くの苦労があったと語る。

 

「日本やドイツなど、先進国での生活しか経験していなかった当時の自分にとって、インドネシアでは全てのことが衝撃でした。現地の空港に着いた瞬間から物凄く人が多く、東南アジア特有の雑多な雰囲気に包まれていて、空港は古くて汚い…。街の道路も綺麗に整備されておらず、現地の食事でお腹を下したり、熱帯的な気候も重なって体重はすぐに減りました。このような環境のなかでも、サッカーでは外国人選手として結果を残さなければならないので、とても難しい環境だと当時は感じました。」

 

厳しい環境のなかでも、サッカーで生きることを選択した松永選手は、結果を残して自分の存在価値を示していく。

 

毎年ゴールやアシストの結果をコンスタントに残し、その結果と比例するようにインドネシア国内で「ショウヘイ・マツナガ」の存在が広まっていき、名実ともにインドネシアを代表する日本人サッカー選手となった。

 

※引用:本人提供(インドネシアリーグでの様子)

 

 

◆熱狂的なインドネシアのサッカー

インドネシアリーグでは、熱狂的なサポーターが数万人規模でスタジアムを埋め尽くすことで有名だ。ときには、サポーター同士の争いに発展して暴動が起きるほど、サッカーに対して熱狂的な国である。

 

街で歩いているとサポーターから声を掛けられて、一緒に写真を撮るようなことも多くあるそうで、時にはレストランでも優遇されるようなこともあるようだ。

 

また、松永選手のInstagramフォロワー数は約39.5万人(2020年10月現在)。多くのフォロワーがインドネシアの人たちで、現地で活躍した証とも言えるだろう。

 

※引用:本人提供(試合開始時の集合写真。多くのサポーターがスタジアムに詰めかける。)

 

 

なぜ、ここまでインドネシアではサッカーに対して熱狂的なのか。

 

「現地ではサッカー選手の社会的な地位が高いです。それが、SNSのフォロワー数などにも繋がっているでしょう。また、インドネシア国内のサッカークラブを持つオーナーが政治の関係者であったりもします。サッカークラブの人気が、政党の人気や票の獲得にも繋がるので、サッカーに多額の資金が流れているような現実もあります。サッカーそのものが国内で人気のスポーツであることに間違いないのですが、社会的な背景も複雑に絡み合って、現地では熱狂的なサッカー人気を生み出しています。」

 

様々な事情が重なり合っていることで、熱狂的なサッカー人気を誇っているインドネシアリーグ。2017年には、元ガーナ代表でチェルシーなどでも活躍したマイケル・エッシェンがプレーしたように、多額の資金を費やして世界的なスター選手を獲得するようなチームも存在する。

 

当時、松永選手はエッシェンと同じチームで1シーズン共にプレーした。

 

「エッシェンのような選手と共にプレーできたのは、自分にとって大きな財産です。彼は練習から真面目にサッカーに取り組んでいて、普段の生活でもフランクに接してくれました。気取っているような雰囲気もなく本当に良い人で、サッカー選手としてはもちろんのこと、人間としても尊敬しています。また、このシーズンは元イングランド代表で、チェルシーやウェストハムなどで活躍したFWのチャールトン・コールも同じチームで一緒ににプレーしました。」

 

このように、世界的に有名な選手が国内リーグでプレーすることによって、インドネシアのサッカーは更に盛り上がっていくことに繋がる。

 

インドネシアのサッカー界が秘める可能性は無限大である。

 

※引用:本人提供

 

 

◆インドネシア国交樹立60周年・親善大使に抜擢

 

2018年、日本とインドネシアの国交樹立60周年を記念した記念事業が開催された。その際、親善大使として任命されたのが、インドネシア国内で名の知れていた松永選手だった。

 

元AKB48のメンバーで、インドネシア現地のアイドルグループであるJKT48でも活躍した仲川遥香さんらと共に親善大使を務めた松永選手は、記念事業の式典に出席し、日本の政治家や日系企業の方々と交流する機会を得た。

 

「インドネシア国交樹立60周年の親善大使を決める際に、複数の方が”松永祥兵”の名前を挙げてくださったそうで、そのことがきっかけで自分が親善大使を務めました。この出来事を通じて、サッカー関係ではない業界の方々とも繋がりを持つことができ、プロ生活を引退した今の自分が歩んでいる道にも大きく繋がっています。」

 

真剣にサッカーと向き合っていた事で、様々な業界の方との繋がりを持つ機会を得た松永選手。この式典で親善大使を務めたことが大きなきっかけとなり、次のステップへ歩むきっかけを掴む。

 

※引用:本人提供(日本インドネシア国交樹立60周年の親善大使を務めた際の様子)

 

 

◆プロ生活引退の真相と今後の展望

 

2020年1月、松永選手はプロサッカー選手を引退することを表明した。

 

そして、現在は静岡県社会人リーグの「SS伊豆」に所属してサッカーをプレーしながらも、新たなる道へと歩みだしている。

 

「元々プロとしてのキャリアをスタートさせたときから、30歳までプロサッカー選手として活躍できれば良いなと思っていました。現在自分は31歳で、そのタイミングと同時に新型コロナウイルスが流行し、インドネシアリーグは完全にストップ。今後の人生において、30代というのは物凄く大切な時期だと考えていて、なんとなく自分の気持ちは次の方向に向いていました。そのような状況の中、ドン・キホーテの前社長である大原孝治さんに自分の現状を踏まえて色々と相談させていただいたときに、”次の道に行くタイミングなんじゃないか”と背中を押していただき、プロサッカー選手を引退する決断をしました。」

 

プロサッカー選手としての生活を終えて、次の道へ進む決断を下した松永選手。

引退後の現在は、「起業する」という方向性を決めて行動に移している最中だと語る。今後の展望について話しを伺った。

 

「プロサッカー選手として活動していたときから、”起業したい”という想いは抱いていたのですが、具体的に何をしたいのかは自分でもはっきり分かりませんでした。そこで、帰国後は本当に沢山の方にお会いしていただき、色々な話を聞かせていただきながら自分の中で少しずつ方向が定まり、今はその準備を進めています。」

 

具体的には、どのようなことに取り組んでいるのだろうか。

 

「1つは、自分の曽祖父さんが設立した”cobon(コーボン)”という健康ドリンクを販売している会社の販路拡大や、アスリート向けに発売するプライベートブランド商品の開発です。あとは、インドネシア人の就労支援や就職斡旋に関する事業も行います。さらには、地元でのサッカースクール設立も準備を進めています。主に、この3つを事業展開できるように行動している最中です。」

 

自分の知らない世界に足を踏み入れることは、どんなに年齢を重ねたとしても、決して容易なことではない。

 

松永選手の強みは、何事においても「一歩踏み出す勇気」を兼ね備えていることにある。インタビューを通じて、筆者はそのように感じさせられた。

 

ドイツやインドネシアへ向かったときと同様に、新たなる挑戦をスタートさせた松永選手。

 

サッカー選手としての「ショウヘイ・マツナガ」としてだけではなく、起業家としての「ショウヘイ・マツナガ」に、これからも目が離せない。

 

※引用:本人提供

 

■プロフィール

松永 祥兵(マツナガ ショウヘイ)

1989年1月7日生まれ 静岡県出身

ポジション:FW・MF

 

●ユース経歴

三島長伏サッカースポーツ少年団
加藤学園暁秀中学
加藤学園暁秀高校
国士舘大学

 

●プロ経歴

2008-2010 シャルケ04(ドイツ)
2010 愛媛FC(日本)
2011 プルシブ・バンドン(インドネシア)
2011-2012 ルシブ・バリクパパン(インドネシア)
2012-2016 グレシク・ユナイテッド(インドネシア)
2016 プルシブ・バリクパパン(インドネシア)
2017 プルシブ・バンドン(インドネシア)
2018 ペルセラ・ラモンガン(インドネシア)
2018 PSMSメダン(インドネシア)
2019 PSISスマラン(インドネシア)

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