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「高校生の時には公式戦出場は1試合のみ、それでもプロという夢を諦められず、日本の地域リーグのクラブを渡り歩きながら5年間プレーしましたが、出場試合はわずか数試合のみ。スタメンでの出場は一度もありませんでした。」
そう語る清水一平はプロサッカー選手になるという夢を海外で叶えた。しかし、2018年、30歳を迎えた清水は人生3度目となる前十字靭帯断裂の大怪我を負ってしまう。引退という考えもよぎったが、諦めず約1年間をリハビリに費やし、2019年5月、プロサッカーの舞台に再び戻るため、タイで行われたトライアウトに参加した。
清水一平
1989年 東京都出身
国士舘高校サッカー部/Japanサッカーカレッジ/アルビレックス新潟シンガポール/
FC鈴鹿ランポーレ/カマタマーレ讃岐/愛媛FCしまなみ/
グルージャ盛岡/FC今治/ポリスFC(カンボジア)/ヌエルFC(ラオス)/
ヤラーユナイテッド(タイ)/クーメラ・コルツSC(オーストラリア)/
ラノーンユナイテッド(タイ)/ウェストベイルSC(オーストラリア)/
ムアンコンWUFC(タイ)
2019年アジアトライアウトに参加した理由
「これまでのキャリアの中で大きな怪我は何度もしてきましたが、怪我のせいサッカーをやめることはしたくありませんでした。オーストラリアでプレーしていた2018年に3度目の前十字靭帯断裂という大怪我を負ってしまいましたが、それでもまたプロとして復活するためにタイでのトライアウトに参加しました。」
なぜ再びタイでのチャレンジを選んだのか
「オーストラリアではセミプロという位置付けでした。レベルは高くサッカーも楽しむことができていましたが、練習は毎日ではなくアマチュアという雰囲気が強かったんです。2016-2017シーズンにタイではプレーしていたのでタイサッカーがどのようなものか分かっていましたが、環境やレベルではなく、やはりプロとして戦いたいと思いタイでの再挑戦を決意しました。」
1年間のリハビリ後のトライアウト。コンディション面で不安はなかったのか
「5月下旬にタイに渡り、まずグループトレーニングでコンディション調整を行ないました。日本ではチームでトレーニングしていたわけではないので、実践からも遠ざかっていましたし、コンディション面で不安はありました。しかし、グループトレーニングで数週間しっかりとトレーニングができたので、コンディションを上げて、自信を持ってトライアウトに行くことができました。」
トライアウトでは苦戦が続いた
「まずタイ南部のスラタニーという場所で数日間のトライアウトに参加しましたが、そこでは契約できず、その後、タイ北部のワットボットというクラブの練習に1週間ほど参加しました。手応えこそありましたが、結局そこでも契約できないと言われてしまいました。その後、再び南部に移動し、パッタニーというクラブのトライアウトを受けますが、そこでも契約できませんでした。しかし、その時に代理人から連絡があり、パッタニーからほど近い場所にあるT4のクラブが自分に興味があると言われ、パッタニーからチーム関係者に連れられてムアンコンという場所に向かったんです。そこが契約を果たしたムアンコンWUFCでした。」
タイに渡ってから契約に至るまで1ヶ月以上が経っていた
「トライアウトが難しいことはわかっていましたが、やはり、簡単にはいかないなと改めて強く感じました。それでもチャンスがあれば行くしかないと、飛行機で北部から南部までタイ国内どこでも向かいました。コンディション的な部分はもちろんですが、金銭的な部分でもしっかり準備して来たことで落ち着いて焦ることなくチャレンジができたことは大きかったなと思っています。」
1年間のリハビリ生活。そして何度不合格と言われても自分の目標をぶらさずに持ち続けられた結果、見事にプロとして復活を果たした清水一平。シーズンでは加入してから全ての試合でスタメン出場。ボランチというポジションながらゴールも決めるなどチームの中心として戦い、充実したシーズンを送った。
高校時代は試合に出られず、プロにもなれず、怪我にも苦しみ続けたが、清水一平はチャレンジし続けることでプロとして輝ける場所を海外で見つけた。2019シーズンを終えた清水は日本に帰国し、束の間のオフシーズンを過ごしている。
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