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今年で38歳を迎える関光博は2020シーズン、タイリーグのトランFCと契約を果たした。自身初の海外リーグでの挑戦だ。
毎年多くの日本人選手がプレーの場を求めてやって来る東南アジア屈指のリーグ、タイリーグ。タイにやってくる理由は選手それぞれで大きく異なる。Jリーグや日本代表での実績を引っさげ鳴り物入りでタイのトップクラブに加入する選手、Jリーグクラブとの契約が満了となりプロとしての活路を見出そうとクラブを探す選手、欧州からアジアのマーケットに移籍し選手としての価値を高める為にタイに来る選手、日本ではプロになることが叶わずタイリーグでのプロ契約を目指す選手など、十人十色の理由が存在する。
関光博に関して言えばJリーグクラブとの契約が満了となりプロとしての活路を見出すためにタイリーグに来た、という理由が当てはまるだろう。今年38歳を迎えるということを考えれば契約満了となった時点で引退という選択をとってもなんら不思議はなかった。しかし、「Jリーグでこれまで十分やってきた。海外で新たな挑戦をし、次のキャリアにもつながる経験をしたい」そういった先のことも見据えて海外にやって来る選手達とは違い、関の言葉には眼をギラつかせた血気盛んな若手選手のような、いかにも”サッカー選手”という雰囲気が漂っている。
1982年生まれ/東京都出身
國學院久我山高校サッカー部
駒澤大学サッカー部
ロアッソ熊本(地域リーグ→JFL→J2)
ギラヴァンツ北九州(JFL→J2)
東京ヴェルディ(J2)
鹿児島ユナイテッド(J3)
藤枝MYFC(J3)
トランFC(タイリーグ3)
関は國學院久我山高校サッカー部卒業後、駒澤大学へ進学、小林亮、中後雅喜、太洋一らと共に総理大臣杯優勝、インカレ優勝、関東大学1部リーグ優勝と大学サッカーで輝かしい成績を残す。そして卒業と同時に当時地域リーグに所属していたロアッソ熊本(当時、ロッソ熊本)に加入。そこでJFL昇格、J2昇格を果たし、自らも2008シーズンにJリーグデビューを飾った。その後、移籍したギラヴァンツ北九州(当時、ニューウェーブ北九州)でもJ2昇格を成し遂げ、その後、東京ヴェルディ、鹿児島ユナイテッド、藤枝MYFCを渡り歩き、2018年12月に藤枝MYFCを契約満了となった。
藤枝MYFCを契約満了になった関のもとにはいくつかの国内クラブの話こそあったが、条件面で折り合いがつかず2019シーズンを無所属で過ごすことになった。
「知り合いを通じて夏の移籍期間で東南アジアのある国のクラブと契約できるかもしれないと言われていました。国内クラブも選択肢にはありましたが、条件が合わなかったため、半年後の移籍シーズンでの海外移籍に狙いを切り替えて無所属でいることにしたんです。しかし、結局その話も無くなってしまい、それで1年間無所属で過ごすことになってしまいました。無所属でしたが、母校の大学でトレーニングは続けさせてもらっていましたし、引退することは最初から頭にありませんでした。」
夏の移籍期間での海外移籍の話がなくなってからも関は母校駒澤大学サッカー部の練習に参加し、トレーニングに励む毎日を送っていた。そして大学サッカー部内の知り合いを通じてGOAL Sports Agencyと繋がることになる。
その後、タイリーグを中心とした東南アジアのリーグに狙いを定めクラブ探しが始まった。しかし、タイ側でのクラブ探しは簡単には進まなかった。世界中から多くの外国人選手が集まるタイリーグはリーグのレベルこそJリーグと比べて見劣るが、外国人選手のレベルは極めて高い。イングランド、スペインなどのトップリーグ経験者や各国代表選手が多く在籍し、タイ人サッカーファンの外国人選手への要求は年々高まっており、「Jリーガー」というだけで日本人選手が一目置かれた時代はとっくに終わっている。まして関の年齢は今年で38歳を迎える、当然、クラブ関係者の意見は厳しかった。
「年齢が原因でクラブ探しが厳しくなることは理解していましたが、とにかく選手としては少しでもレベルの高い場所でプレーしたいと思っていました。そして、もしそれが出来ないのなら、自分がピッチで証明するしかない、そうしないと始まらないですからね。2020年の1月に入りタイ側の代理人の方から『明日タイに来れるか?』と連絡が入り、急いでチケットや荷物を用意し飛行機に乗り込みタイのバンコクに向かいました。慌ただしい中での出発でしたね。」
タイリーグでのクラブ探しは難航していたが、2020年1月中旬、タイのあるクラブから関光博に興味があるという連絡が入った。そこはタイリーグ3に所属するトランFCというクラブで、首都バンコクから飛行機で約1時間のタイ南部に位置するトラン県を本拠地とするクラブだった。
関はトライアウト参加準備のために滞在していたバンコクのホテルからすぐに空路でトランへと向かった。トランFCはブラジル人監督を起用しており、クラブには数名のブラジル人選手、日本人選手が練習生として練習参加をしていた。関がトラン空港に到着するとクラブスタッフが空港ロビーで待っており、お互い片言の英語で挨拶を済ませた後、駐車場へと向かった。
「空港に着いてクラブスタッフと落ち合うと『さあ行くぞ!』とバイクに乗り出したんです。自分は日本から持って来た荷物全て持って来ていたのでキャリーバックも含めて結構な荷物だったのですが、そのスタッフに言われるがままキャリーバックを両手で抱えてバイクの後ろに跨りました。バックが落ちないように必死で抱えながら2人乗りのバイクで田舎道を走っている時には、すごい場所に来てしまったんじゃないかって思いましたね。でも、とにかく契約を勝ち取るために日本から来ていましたから、どんな状況でもやるしかないなと、モチベーション的にはすごく高かったですよ。」
トランFCはタイリーグ3の南部エリアに所属するクラブで、タイ南部を代表するクラブの1つだ。アンダマン海に面した場所にあり、リゾートで有名なクラビは隣の県、車で数時間行けばマレーシアに行くこともできる。住民の半数はイスラム教徒で占められており、街はタイ南部独特の雰囲気が漂う。また、カテゴリーこそ3部リーグに属するが、クラブオーナーのタワッチ氏はトラン県の有力者として知られ、彼の意向でタイリーグの中では珍しく地域に根付いたクラブ運営・強化が行なわれている。2017、2018、2019シーズンでは昇格こそ果たせなかったが激しい昇格争いを演じており、リーグでは強豪として知られている。
関は練習参加が始まって数日でトランFCのブラジル人監督モレイラから既に高評価を得ており、代理人の元にもモレイラから契約したいという趣の連絡が入っていた。『関は非常にクオリティの高い素晴らしい選手だ。年齢は関係なくまだ20代の選手のように動くこともできる。すぐにクラブと話しをして契約するんだ。』それから約2週間後、シーズン開幕を約2週間前に控えた1月27日にトランFCとの契約が結ばれた。
「練習参加開始から数日後、いきなり練習前のミーティングでモレイラに呼ばれ『こいつはここで契約するから、みんなよろしくな!』みたいな感じで紹介をされました。まだクラブとは契約内容も何も話していないし、何も決めてもいないのに。そんなことあるの?という感じでしたが、勢いで慣れない英語で挨拶しました。中盤でのロングパスの精度だったり、守備でガツガツやるのが評価されたようでしたね。やはり実際に契約書にサインして改めて、またサッカーができる、ここからだぞ、という気持ちになりました。」
近年は、コンサドーレ札幌のチャナティップや、横浜F・マリノスのティーラトンなど、タイ人選手のJリーグでの活躍が目立つようになり、また、ハーフナー・マイクや細貝萌など日本代表でも活躍してきた選手のタイリーグクラブへの加入、ロシアW杯で日本代表を率いた西野氏がタイ代表監督に就任したことなどもあり、改めてタイサッカーの発展が日本でも知られるようになってきている。しかし、実際にタイに来れば多くの日本人選手が、文化、生活、国民性、サッカーの違い、練習環境、意識の違い、あらゆる面での違いに戸惑うことになる。関もその例に漏れることはなかった。
「とにかく何もかもが違いましたね、練習場のピッチはボコボコでボールを蹴っても真っ直ぐ転がらないし、練習は時間通りに始まらなければ監督も遅れてくる。ドクターやトレーナーもいないので自分のケアは自分でやるしかない。そして、とにかく何事も”マイペンライ”(タイ語で『大丈夫、なんとかなる』という意味)なんですよね。練習の中でミスがあったり、戦術が上手くいかなくても”マイペンライ”。それじゃなんとかならないでしょ!と思いながらやっていました。
ただ、タイ人のやり方から学んだことも多くて、日本人は生真面目で難しく考えすぎている部分もあり、そのためにストレスをすぐ感じてしまいます。でもタイ人は違うんですよ。良くも悪くも気にしないんで、ミスしてもプレーに波がでることも少ないしすぐに気持ちを切り替えることができる。だから彼らにはそういう得意な部分があって、不得意な部分を補うために日本人が求められているのかもしれません。
また、チームから求められることも日本とは違います。日本にいた頃は若手の良いところを引き出してやろうと周りに気を使いながらプレーしていました。ベテランとしてそういうプレーが求められていたので、それが当然だと思っていましたが、タイでは監督からも『自分のストロングポイントを出してくれ』と、とにかく要求されます。自分で結果を出して、自分がチームを引っ張らないといけない、そうじゃないと評価されないということに外国人枠としてプレーしたことで気づくことができました。
また、食事・栄養などの面について、自分は結構ストイックにやるタイプなので、タイに来てからも日本でのやり方でやろうと努力していました。例えば飲み物で言えば基本的に水しか飲まないようにしていたり、食事の回数なども日本でやってきたやり方をそのまま取り入れていたんです。でもタイ人選手は普段から甘いジュースだったり、お菓子や菓子パンを練習前や試合前でも普通に食べたりしているんですよね。最初は驚きましたが、でも日本でやっていた食事方法をタイでも続けているとコンディションが落ちてきてしまったのを感じたんです。たぶん気候の違いや生活の違いが影響していたと思いますが、それからはタイに適応するために食事の取り方も工夫することをはじめました。それからはコンディションも上がり、やはりタイにはタイに適したやり方があるんだなと。日本の常識のままではこっちで適応できないんですよね、そういったピッチ外の部分でも学ぶことはとても多いと感じています。
生活に関しては家に蟻が大量発生することだったり、ヤモリが出ること、ジョギングしていると猿がココナッツを運送するトラックにしがみついていたりとびっくりすることだらけです。特に夜の野犬には注意しています。でもチームメイトのタイ人選手は片言の英語でふざけながら絡んできてくれますし、ブラジル人選手や監督のモレイラはいつもわかりやすい簡単な英語でコミュニケーションを取ってきてくれたり、食事に誘ってくれたりと気を使ってくれています。チームメイトが皆良いやつばかりなので、そこの部分では本当に助けてもらっています。」
リーグ開幕戦をホームで0-0で終え、2節目のカセムバンディットFCとの試合をアウェイで迎えたトランFC。チームは3-4-3のフォーメーションを採用し、関は中盤の左サイドとして起用されていた。監督からは中盤でのディフェンス、そして攻撃では精度の高いキックを生かしてのチャンスメイクも期待されている。試合は前半にトランFCがコーナーキックから先制するも、後半に入りPKから同点になる苦しい展開となった。トランFCは攻め手もなくなりロングボール一辺倒になるが、後半終了間際にそれが功を奏する。味方FWに向けて放たれたDFからのロングボールが関の目の前にこぼれた。ゴールまでの距離は30mほどあったが、関は迷わず右足を振り抜いた。
「練習での調子も悪くはなくて、何となくだけどゴールできそうな雰囲気は試合前から感じていました。でもあのゴールはなかなかでしたね。公式戦でのゴールは2年前の天皇杯でのサンフレッチェ広島戦以来だったと思います。」
関の右足から豪快に放たれたシュートは美しい弧を描きゴールネットを揺らした。監督、コーチ、オーナー、選手、サポーター達は歓喜に包まれ、アウェイで2-1での勝利をもたらす値千金の決勝点となった。
「正直、公式戦の出場も久々だったので、どのくらい動けるかとか、どのくらいできるのかと確認しながら試合に入りました。でもやはり、お客さんがいてサポーターがいて、改めてサッカーの楽しさを感じたというか、サッカーが好きだなと感じました。もちろん試合の中ではうまくいかないストレスはありますが、国が違ったりカテゴリーが違ってもやっぱりサッカーは楽しいですね。やはりこの年齢までサッカーやってるのはサッカーが好きだからやってるわけなので。」
この試合が行われた後、第3節を前にタイリーグではコロナウイルス感染拡大防止のためのリーグ戦中断が発表された。当初は4月18日再開と発表されていたが、現在は9月再開が有力とされており、今後タイリーグがどのような対応を取るのかまだ不明な点は多い状況だ。タイリーグでプレーする関を含めた日本人選手にとっても先の見えない不安の中、どうしようもない状況となっているが、そんな中でも関のサッカーに対する気持ちは一切ぶれることはない。
「自分は経験のためとかキャリアのために海外までサッカーしに来たのではありません。どこでプレーしようとプロとして100%サッカーに力を注ぐ。惰性でやるのは嫌いです。100%でやらない限りその後にも何も残らないと思っているので。今はこれからどうなるかわからない状況で、皆で我慢が必要な時ですが、プレーできる機会がこの先またあるのであれば、また自分の価値をピッチで証明するようなプレーを見せたいと思います。」
37歳での海外挑戦。変わらぬ真っ直ぐな情熱をサッカーへと注ぐ関光博のタイリーグでの挑戦は始まったばかりだ。
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